震災チャリティの人?

わかりやすく説明いたします。

平松愛理

平松愛理の簡単なプロフィール

平松愛理

1964年3月8日生まれ。神戸市須磨区出身。

1992年に「部屋とYシャツと私」でミリオンセラー 1993年にアルバム「Single is Best」でミリオンセラー 1994年編曲家の清水信之氏と結婚するが2005年離婚 1996年に娘を出産、2001年に乳がん発覚。治療に専念し、 2004年復帰。現在はネスレのテーマソングLa la smile を曲担当し、ラジオ番組のレギュラーもライブもこなし、 精力的に活動している。2019/8/28 部屋とYシャツと私~あれから(続編)リリース

震災チャリティの人?

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震災チャリティの人?

平松愛理は震災チャリティーの人、 震災ビジネスをやっているなんて たまに揶揄されているが、実際どうなの?というところを紐解いて いきたいと思います



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1995年1月17日

平松愛理の家は全壊、友人も亡くす。 地震当日、平松は調子をたまたまくずし、実家に帰らず、前日東京にいて被災者にはならなかったが、 家は全壊し、友人も亡くした。 はんば、夢の途中で天国にいかなくてはならなかった友人の為に、 また、震災を忘れては困ると思う人がいる限り、平松は歌うことを誓う。 作詞家、阿久悠氏と復興支援の歌 1995年、阿久悠氏が神戸復興支援ソングをやりませんかと話す。 売上の一部が震災復興義援金になるときき話をうける。 話を聞き、親交のある、岡村孝子、沢田知可子、大江千里、島倉千代子がコーラスで参加。1995年4月発売 美し都~WE LOVE KOBE がんばろや はこのサイトで聴くことができます。このページの一番下ー美し都



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震災から半年/がんばっている神戸を伝えて。

平松はスペシャル音楽館という番組で、震災から半年の番組をやる。 自分が実際に、神戸を歩いてインタビューしてまわった。 頑張ってる人に、頑張って!と言えませんでした。頑張っているから。 平松さんは歌で伝えてと街の人に言われ、そうなると誓うのでした。 96年平松は神戸の四季の素晴らしさと震災の無念さを歌った曲を次のアルバムで発売。 南町から はこのサイトで聴くことができます。 このページの一番下ー南街から



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泣かせる為に歌っているのではないのに・・。

震災から数年経った1月17日、平松は神戸で歌う。 自分の歌で泣いている方を見て泣かせる為に歌っているのではないのにと思う。 忘れたいのにと思っている人がいるそれに悩む平松。 でも忘れては困ると思う人のためにも続けるべきと感じる。 そして震災支援イベントに参加してきたが、自分で納得のいく震災支援を 行いたいと感じ、99年3月7日、東京で震災支援の決起ライブを行う。 2000年より単独で1月17日支援コンサートを行う。



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震災に区切りなんてない!

震災から10年経った2005年、地元では震災から10年で特集が組まれる。 平松は活動がしやすいと思いつつも、10年だけ話題にするのは違和感があった。 震災で亡くなった方への想いは区切りなんかでくくられたくない。 そう思う平松はこれからも1.17支援ライブをすることを誓う。 平松の書いた震災の詞が2004年に朝日新聞にまるまる掲載された’残された者たち’ そして、毎年震災の為に作る、震災支援ソングを発表する。 ’忘れないきっと忘れない’ ’2007神戸’など。



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震災の風化 そして抱える問題

被災地は完全に復興したかに見える。だけど違った。 被災者の孤独な高齢化、無支援、風化・・。 厳しい現実にその現実をそむけたくなるが、 しかし、平松は活動することで、今直面している問題も気づいてほしいとも 訴えている。



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3.11を迎えて

2011.3.11東日本大震災が起こる。平松は直後、被災地に向けて 花と太陽を歌いにいったが、感きわまって泣けてきたという。 その後、復興に向けて夏より神戸の花、コスモスを被災地の学校 に植えにいって活動をした。コスモスの花は満開になった。 平松は歌を歌うことと花を植えることしかできないといい、 これからのKOBE MEETINGは東北被災地にも向けて支援を したいと決意を新たにする。 震災20年を迎えて 2015年1月17日、平松は20回目のKOBE MEETINGをほぼ ワンマンという形で行う。震災に区切りなどないといい続けて 続けてきた平松であったが、震災があった95年に生まれた赤ちゃんが 成人になることについて言及し、はじめて区切りという言葉を使った いろんな批判があったなかやり続けてこれたことに感謝を持ち、 使命感というだけでは続けてはこれなかったこの現実を踏まえて これからもこの活動を続けていくと宣言した。



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そして2020年、神戸ミーティング

20年を区切りとした平松であったが この意味はなんだったかというと、 1月17日当日に支援ライブをやることに区切りをうったということ。 2016年は1月17日は日曜日だったので、17日に開催したが、2017年以降は17日より前の土曜日とした。 理由は土曜日のほうが、遠方の方も 来てもらいやすいし、現地の人も、 平日参加は困難のためとされる。



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結論:震災ビジネスの人?

とんでもないです。実情は逆です。 平松愛理は2000年代から、皆が知ってるヒット曲がないため、117も だんだん集客力が落ちていき、平日開催では一時期、単独ライブでは厳しいとなり、 地元の神戸の若手アーティストと タイバンになった年もありました。 つまり、地元アーティストのファンで集客するという方法。賛否両論でした。2015年からはネスレがバックアップ。また、単独に近いライブへとなりました。1月17日にこだわり 続けるか、それを諦めて土日で、 来ていただける状態を作るか、 平松陣営は後者を選んだということ それでも神戸震災チャリティーを 続ける信念。あなたは平松さんのこの姿勢を支持するか、いなか?







 南町から  


 美し都  

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