2003.9.1 ライブレポ&愛理論

2003.9.1 ライブレポ&愛理論

平松愛理

2003.9.1 ライブレポ&愛理論

平松愛理

ライブレポ&愛理論

「9.1平松愛理ファンクラブの集い」に参加して思うこと  平成15年9月1日。私は東京駅に向かう電車に乗っていた。「長くなったなあ~。」思わず出たその一言は、平松愛理という1人の歌手を応援し続け、積み重ねていった結果、思いのほか長くなったその年月を振り返りながら出た言葉であった。思えば私が彼女の曲にふれたのは、当時テレビで流れていた「部屋とYシャツと私」が最初だった。その曲を初めて聞いた翌日、CDショップに向かった私は、一目惚れした女性を追うように、タイトルも歌手もわからないその歌(CD)を探し続けた。ただ記憶に残っていた歌詞の一部だけを頼りにして…。  そんな感傷に浸っていた私も、目的地(東京都渋谷区恵比寿)へ向かう電車に乗り換えたころには、今日これから行われる、そして未来へ向かう彼女のことを考え、高ぶる気持ちを抑えることはできなくなっていた。いったい今日、彼女はどんな事を話し、どんなステージを見せてくれるのだろうか。駅から歩くこと約10分、会場に着いた。何人かの顔なじみのファン仲間と笑顔で挨拶をかわす。「こんにちは。お久しぶりです!」  17時20分。予定より10分早く開場となる。知人と歓談する人、黙々としかし感慨深げに列を進む人、花束を持参した人等、各自の思いを持って会場に入場する。会場に入り入場時に渡されたドリンクチケットと飲物を引き換える。左右のオードブルは自由にとって良いらしい。さながら立食パーティのような様相である。やはり「ファンクラブの集い」を意識した趣向であろうか。私もサンドイッチとアイスコーヒーを手に、知人と歓談しながら開演を待つことにした。  17時50分。ステージにスモークが炊かれた。お世辞にも広いとはいえない会場(オールスタンディング))は、200人はいるかと思われるファンで一杯になり、身動きすらできない状態であった。とても平日、それも月曜日の公演とは考えられない。これも彼女の魅力が成せる業であろうか。  18時06分。予定より6分遅れで開演。ステージに出てきた彼女はまず一言。「今日はこんな怪しげなタイトル(当日のタイトルは「秘密の小部屋」であった。)の集いに参加していただいてありがとうございます!今日のイベントを私のライブだと勘違いされている方も多いようですが…、(一息入れて)しゃべらせてください!(笑)。あ~でも折角キーボードもあるみたいなんで、少しは歌おうかな~。」(場内爆笑)ラジオパーソナリティの経験も長い彼女。登場して早々に観客の気持ちを掴んでしまう。  イベントは彼女の言葉どおり、彼女のおしゃべり(MC?)でスタートした。「私ハワイに行ってたんですよ。知ってました?」(場内から「知ってるよ~。」の声)「愛娘が怪我をしたり、その看病をしてたら私が倒れたり~。でも、七転び八起きの平松愛理。今回はその八起きになろうと思いまして、ハワイアンソングを習ったんです。そしたらその先生が、『発表会に出てみない?』って言うんですよ。思い切って『はい!』って言ったのはいいんですけど、その発表会って、カメハメハ3世(故人)の生誕を祝う大きなイベントで…」  彼女の言葉によると、カメハメハ3世は、他国の国民にハワイへの移住を勧める政策をとった人物であるらしい。そこで彼の生誕際では、移住してきた各国の人々が、祖国別にハワイアンソングを歌うことが慣例となっており、彼女は無理やり(?)日本代表にされたとの話であった。  「…日本代表になっちゃって(笑)。(場内から拍手)。え~、拍手するところじゃないでしょ。本当は違うんだから!(笑)。」  ハワイの話はまだ続く。 「ハワイで中国針打ってきたんですよ。中国針だから中国人だと思うでしょ。でも私に打ってくれた人はモアイ人(場内爆笑)。で、打ってもらってる時に、『そこは何処に効くんですか?』って聞いたら、『ワタシ、シュギョウ(修行)チュウ。ダカラワカラナイ。』って言いながら平気で何本も刺すの。で打ちながら『イタイデスカ』って聞いてくるから『そこは痛いです。』って言ってもおかまいないしに刺されちゃって(笑)。結局30本くらい刺されちゃった。」 「ところでさっきから(と自分のカーディガンを持ち)、ずれるのが気になってるんですけど、すみません。(とスタッフを呼び)、両面(リャンメン)テープないですか。あぁ、ありがとう。これでよし。ってこんなことリハーサルでやっとけってね!」 「ハワイで写真をとってくれるお店があって。そこのおばさんに『アナタ、キレイ。シャシントッタラ、テンシ(天使)ニ、ナレルヨ。』って言われちゃって。私、天使って言葉に弱いんですよね~。それでとってもらったら、『アナタ、ビンボウソウナメヲシテル』ですって。ひどいと思いません!(笑)写真のポーズとかそのおばさんの言うとおりにやったのに~。」 「それから、最近の私の話題と言ったら駐禁。(中略)300円のところ(パーキング)で100円しか払わなくっても駐車禁止になるんですね~。知らなかった(笑)」 話すこと20分。「ところで、そろそろ私、歌いません?」と場内に同意を求める彼女。 「今日はね~、何歌おうかな~と思って、たくさん準備してきたんですよ~!(と楽譜をめくりはじめる)う~ん。めんどくさいから、タイトル全部読みますね。みなさんで勝手に決めてください。えーと(早口になり)『ガールフレンド』『追伸』『待ってもいいよ』『想いでの坂道』…」(場内爆笑) 結局場内からのリクエストで「YOU ARE MINE」を歌うことに。この曲は彼女が癌になって以降、初めて完成した曲である。CD化されていないにもかかわらずファンの人気は根強い。曲の前半で「~してくれてありがとう。」という感謝の言葉(歌詞)が続き、サビでは「YOU ARE MINE.YOU ARE MINE.私かあなたが死んでも~。YOU ARE MINE. YOU ARE MINE.この想いは生き続る。」と歌う歌詞が印象的である。  「「YOU ARE MINE」でした。さて次は何がいいですか?。」場内のあちこちから、次々に彼女の名曲をリクエストする声が続く。しかし、どういう訳か(?)彼女はそれをやんわりとかわしていく。(多分用意していない曲が多くリクエストされたのであろう。)そのやりとりの一部を次に掲載する。 ファン(以下F)「駅のない遮断機!」 愛理さん(以下愛)「はげしい歌は今日はちょっと…。」(彼女の病気を考えればうなづける話である。) F「ベージュのパンプス!」愛「あれ、キーが高いんだよね~。(ここで歌いだしを少し歌う)心~が裸~足で駆け出して~♪。あ~、やっぱりだめだ(笑)」 F「部屋とYシャツと私!」愛「あの曲はもういいでしょう…。もうあちこちで何回も歌ったし(笑)」 F「朝のホームで!」愛「あれ難しいんだよ~。」(場内爆笑) こんな感じでやりとりは続いた。  結局、「愛理さんの歌いたい歌!」とのファンの声に「ごめんね~。結局私が歌いたい歌になってしまって。」といたずらっぽい笑顔で言い放った彼女は、ファンからのリクエストのあった「思い出の坂道」、そして自分の歌いたかった(?)「待ってもいいよ」を歌いあげる。(その後、時間調整と称し「LET'S SEE UNDER THE SEA(ハワイソング)」も歌った。)  次に、ハワイで彼女が買ってきた「おみやげ」を配るための抽選会が始まった。入場時に必要な葉書にあらかじめ番号が振ってあり、愛理さんの引いたくじと同じ番号の人に「おみやげ」が当たるしくみだ。ファンクラブの集いならではのアットホームな雰囲気を醸し出していく(残念ながら私の周りに当たった人はいなかったが…)。第1部はこのようにして終了していった。 第2部は新ユニット「Hi-Hats」によるライブが行われた。ファンの方はすでにご存知のとおり、「Hi-Hats」は愛理さんがかつて(アマチュアのころ)一緒に音楽活動を行った女性(「Hi-Hats」ではKimmという名前)をギターに迎え、自らはSallyと名乗りボーカルを務める新ユニットである。詞も曲も従来の平松愛理とは全く違う作品を作っていることが、最大の特徴である。そういえば、かつて「さだまさし」はソロになった(かなり)後に、1度「グレープ」時代のユニットをアルバム1枚限りで復活させたことがある。しかしこのアルバムはあくまで「さだまさし」の世界観に基づくものであり、コーラスがグレープ時代と同じというだけのものであった。(ファンの方にとってはそれはそれで良かったのであろう。)しかし、「Hi-Hats」は「平松愛理」とは全く違っていた。まず詞についてだが、全体的に直線的な詞が目立つ。「平松愛理」の詞はともすると彼女の意図していることが見えなくなるほど、愛や恋というオブラートでつつまれたものが多い。つまり一見愛や恋の詞で隠されたものの中に、実は彼女の言いたいことがある。そんな詞が多かったのではないだろうか。これに対し「Hi-Hats」の詞は全ての表現がそのものずばりなのである。(稚拙な表現ですいません。)一方曲の方は、平松愛理は「部屋とYシャツと私」「あなたのいない休日」に代表される聞く人に優しい曲が目立つが、「Hi-Hats」の曲は一言で言うと「激しい」。1曲ごとの感想は別(九州平松会のページ)に書く予定なのでここでは割愛するが、全体的に曲を聞くとこのような感想を持つ。なお、このファンクラブの集いでは、「自分次第。」「pa-la-pa」「種類」「大人になったら」の4曲を一気に歌い上げた。(MCなし) このようにしてファンクラブの集いは終了していった。さて、ここまで私は重要な場面について全く触れていない。平松愛理自身がファンに対し「Hi-Hats」に対する問いかけは無いか、質問を募った事である。(第1部と第2部の間で行われた。)ご承知のとおりこれはファンクラブの集いであり、ファンクラブの間では、「Hi-Hats」のことは(このイベントが行われる以前から)すでに広報されていた。だからこそこのような問いかけが行われたのだが、これこそ本人の(「Hi-Hats」が平松愛理のファンに受け入れられるかという)不安を表す場面であったのであろう。そして、「なぜ今「Hi-Hats」なのか?をファンに直接自分の言葉で伝えたかったからこそ、このような時間を設けたのであろう。彼女はこう言った。 「「言いたくても言えない。」「思っていても伝えられない。」ことはみんなあると思うけど、誰もそれを口にすることは無いし、普段それを隠して生きていると思うんです。私もそうでした。でも今回病気になって…(中略)…その時浮かんだ曲は今まで(の平松愛理)とは違う曲ばかりで。その時思ったんです。歌を作っている原料は自分の心なんだ。だから心が今の状態で、前の「平松愛理」の曲ができるはずがないって。で、その時できた曲を神様が「書き留めておきなさい。」って言っている気がしたんです。そして、書き留めておいた曲が、(今回皆さんに発表することになった)「Hi-Hats」の曲です。」 今回の曲はあきらかに平松愛理の世界観ではない。「これは平松愛理ではない。「Hi-Hats」のSallyなんだ。」という声も多い。私はそれを否定できないし、そのように考えることによって、「Hi-Hats」を理解できるなら、それでいいと思う。 私は、「Hi-Hats」は平松愛理のわがままであると理解している。いや厳密に言えば、平松愛理ではなく、1人の人間「清水絵理」のわがままと言えばわかりやすいであろうか。明らかに今回の「Hi-Hats」のアルバムはファンのことを重視して作られたものでは無く、自分の素に近い気持ちを歌ったアルバムであると思われる。しかし、もしそうだとしても、あなたが平松愛理のファンであるならば、「清水絵里」のわがままを許せないだろうか?なぜ、私たちは「平松愛理」のファンになったのだろうか。それは、人によって違うと思われるが、共通して言えることは彼女の歌、あるいはその他の何かに心を癒され、助けられてきたからではないだろうか。「Hi-Hats」のアルバムを聴くことは、彼女が今何を思っているのか、何を考えているのか、何を叫びたいのか、聞いてあげることであり、もっと言えばそれは彼女に対する一種の恩返しになるのではないかと私は考えている。(これは、私なりの理解の仕方であって、もちろんファンの方の中には、「「Hi-Hats」も好きです。」という方もたくさんいますので誤解のないように…) 「Hi-Hats」の曲は「清水絵里」のわがままであり、「心の叫び」であると私が理解していることは前述したとおりである。本来「平松愛理」はこれらの曲とは全く違う曲を歌ってきた。今後はどうなるのであろうか?私は今回の出来事は「平松愛理」にもいい形で影響を与えていくのではないかと考えている。つまり「平松愛理」と「Hi-Hats」の融合である。「Hi-Hats」の曲を支持する人の中には、その(生と死に対する)リアリズムのある詞を支持する人も多い。これが、従来の平松愛理の楽曲にどのような形で融合してくるのか。非常に興味深いところであり、次のアルバムはとても期待できるものになると考えている。  まずは目前にせまった1月17日。来年の1月17日(阪神大震災復興支援ライブ)で彼女がどのようなライブを見せてくれるのか。今から非常に楽しみである。    

ページの先頭へ