アーティスト平松愛理の印象
平松レビュー(まめさん)
アーティスト平松愛理の印象
アーティストは一般的に「お山の大将」であると思っている。コンサートのMCとか で親近感がある話をする人でも、こと音楽に関しては周囲がどのように感じているか を気にしない。実際はともあれ、私はそう思っている。「アーティスト」はそのくら いでないと生きられないとも思えるので、当然のことかもしれない。 私が愛理さんのライブに初めて行ったのは、カミングアウト中である2003年のKobe Meeting(atチキンジョージ)である。そのときのMCは覚えていないが、前述の 「アーティストの印象」とは違った印象を受けたのを覚えている。周囲が自分をどの ように見ているかをわかっている。そして逃げるわけでも、無視するわけでもなく、 しっかりと向き合っている。それがもとからの「平松愛理」なのか、これまでの経緯 を経てそうなったのか、残念ながら私のファン歴は短いため、今のところわからない この印象がわかってもらえるだろうか。オリジナリティが重要視される音楽の世界 で、自分と周囲を客観的に見られることが、普通とは考えにくいことを。いずれにし ても、そのとき私は怖くすらなったことを覚えている。この人には上辺だけの言葉は 通用しない。そんな言葉は全て見透かされる、そう思った。言い訳がましいことでは あるが、私のライブレポートがほとんどMCの記載のみとなっている理由の一つはそこにある。 それからもうすぐ5年。愛理さんが復帰を果たしたからか、私が慣れたのかは定か ではないが、あのときの印象は影を潜めた。しかし今でも、私はライブのときは気合 いを入れるようにしている。他のアーティストのライブでもそうしているが、特に愛 理さんのライブでは、そうしないと愛理さんの前に居られないような気がするのである.