愛理さん復帰のこと、阪神淡路大震災のこと
愛理さん復帰のこと、阪神淡路大震災のこと
愛理さん復帰のこと、阪神淡路大震災のこと
愛理さん復帰のこと、阪神淡路大震災のこと
平松愛理再開した歌手活動:闘病や休養などで精神的にも苦しかったと思う:10月アルバム・ライブだ!
シンガーソングライター(←この言い方、古いかなぁ?)の平松愛理(ひらまつ・えり)さんが、昨日(2004年4月21日)
「YOU ARE MINE」と「部屋とYシャツと私2004」のシングルを発売されました。
事前に私のところへ「HFM」(ハートフルムーン・平松愛理さんの公式ファンクラブ)からメールが
「HFMの会員ではない」この私に愛理さんの名前で届きました。
4月2日の神宮球場のヤクルトスワローズのプロ野球開幕戦での、「国歌斉唱」(わたしとしては、
愛理さんの地元・甲子園球場でやってほしかった、
2月20日には著書「部屋とYシャツと『私の真実』」を発刊(もちろん、わたしは購入しました・720円です)。
わたしは平松愛理さんとは違う病気を抱えて苦しんでいます。
でも、愛理さんは自身のご病気にも負けず、昨年(2003年)12月23日には神戸出身の平松愛理さんが
「神戸ルミナリエ」の会場で、シークレットライブ。そして2004年1月17日には、
もはや恒例となった「震災支援神戸ライブ」を行いました。
そしてわたしは、2005年1月17日、つまり「阪神大震災から10年目の日」に、大きな「節目」を迎えます。
平松愛理さんは、10月には新作アルバム、コンサートツアーがあるそうです。
【「うたばん」を見た感想:中居くんの「君が代」独唱を生放送でTBSで聞きたいです。以上。】
平松 愛理 様 (一部・加筆修正)
「スーパーテレビ」(日本テレビ系列2004年6月21日22:00~放送)を拝見させて頂きました。
私が驚いたのは、愛理さんの御病気やリハビリのOA(放送)ではなく
(その事は貴女の著書「部屋とYシャツと『私の真実』」を買いましたが、それ以前から知っていた事です)、
愛理さんのHPに心無い書き込みがあった事(「病気を売り物にしている」「そこまでして有名になりたいの?」など)を知った事です。
平松愛理さんの公式ホームぺージは、愛理さんと愛理さんのファン(私を含めて)を繋く「絆」であった筈です。
でもその人は、一体何が言いたくて愛理さんのHPにアクセスし、書き込みをしたのだろうか?
わたしのホームページ(http://plaza.rakuten.co.jp/panicshougai/
)タイトル:「神戸ルミナリエと阪神大震災」にも、「アンタ(私の事です)は
『パニック障害』(と言う病気)だと言う事で、世の中から逃げている」とか、
震災の事でも、「いつまでも震災・震災言うな!」「(神戸)ルミナリエは、
ただの『観光イベント』じゃないか!」とか、いろいろ書き込みされています。
それでも私は「書き込み制限」をせず、「阪神大震災から9年」「神戸ルミナリエ」
というテーマだけでも、今年だけでも100回以上の日記を書いてきました。
わたしはあの阪神淡路大震災のあった「1995年1月17日」から、
「独りで遣り通す震災復興10年計画」を立てました。
来年の愛理さんの神戸ライブの行われる日・2005年1月17日(阪神大震災から10年目の日)をもって、
わたしは「震災のことを考えるのは、もう終わりにしよう」と、この頃想うようになったのです。
わたしは、自分の「継承者」を10年間探し続けてきましたが・・・・
わたしは、震災犠牲者やその遺族でもなく、
被災者でもなく、
神戸市民でも、
兵庫県民でもないからです。
神戸ルミナリエでは、「阪神淡路大震災の犠牲者の鎮魂(追悼)と被災地の復興」を謳っていますが、
神戸ルミナリエを観る事無く亡くなった6433人もの震災犠牲者の事は、
何処かに置き去りにされているような気がしてなりません。
三宮の「フェニックスプラザ」(阪神淡路大震災復興記念資料館)が「丸井」(女性向の衣料品専門店街)になり、
昨年神戸ルミナリエの関係者のXXXX様から、「神戸ルミナリエに是非お越しください」
と手紙で言われながらも、行かなかった、いや、行けなかったこの私でした。
先日(6月12日)、大阪府の自宅を原付で出て、神戸の東遊園地(神戸市役所横の
公園の通称・神戸ルミナリエのメイン会場でもある)の「1・17希望の灯り」と
「阪神淡路大震災・慰霊と復興のモニュメント」を見てきました。
元町では、競馬の場外馬券売り場に吸い込まれていくような、たくさんの人達。
三宮では、今にも将棋倒しになりそうな勢いのパチンコ店の光景。
それらを横目で見ながら、親父(享年57)の遺骨が安置されている、
岡山県倉敷市の寺まで、原付で大阪-倉敷を往復してきました。
大阪・毎日放送の震災報道ラジオ番組・「ネットワーク1・17」のスタッフの方から、
わたしが自身の病気をカミングアウトした事で、「XXさんは、もう充分番組のために頑張ってくれました。
あとの事は私達に御任せください」と言った内容のメールが来ました。
わたしは男性で、いま33歳です。
誕生日は、愛理さんと1日違いです。
2005年1月17日・あの震災から10年目の日。
わたしはこの先どうするか、もう一度見つめ直します。
恒例の愛理さんの「震災の日」の神戸チキンジョージでのライブに行く事が出来たなら、これ以上の幸せは無いでしょう。
もしチケットが取れたなら、絶対「最前列」で、喰らい付く様にライブを見る事でしょう。
主治医からは「断酒」を3年半命じられていますが、2005年1月17日だけは、お酒を飲みたいです。
2004年6月21日
追伸:別紙の通り、わたしは自分が卒業した高校の同窓会の幹事をしております。平松愛理さんの「YOU ARE MINE」をカラオケで是非歌いたいです!
KOBE SINGS!ディスカバー神戸フェスタ
KOBE SINGS!「GWスペシャル」
(ガラスの心の日系大阪人さんのレポート)
神戸・メリケンパークに平松愛理さんのライブに行ってきました。(2005年4月30日)
ワ━ヾ( o・∀)ノ゙ヾ(o・∀・o)ノ゙ヾ(∀・o )ノ゙━イ!!ー
「震災10年・神戸からの発信」
開始予定時刻の14:00から、それ以前のイベントの時間が押していたこともあり、
平松愛理さんのコンサートは「15分押し」でライブがスタート。
スタッフは、愛理さんのキーボードの音合わせなどをしていたのでした。
「KOBE SINGS !ディスカバー神戸フェスタ」と題して始まった神戸メリケンパークでのイベント。
平松愛理さんは白地に真ん中にピンクの大きな「ハート」の愛理さんデザインのTシャツ。
下は、黄色を基調にしたヒラヒラにスカートで、明石市民まつりライブ
(2004年8月28日午後6時45分頃開催・兵庫県明石市明石公園)よりかは、
日差しが強い事もあって若干化粧が濃く見えました。ご本人も、その事をMCで話していました。
「『神戸』は、私の中のいちばん素晴らしい場所」
平松愛理さんは、そう言って「南町から」と言う曲で、ライブをスタートさせました。
この曲(「南町から」)は、10年前の神戸の震災で平松愛理さんの実家(神戸市須磨区)や
近所の風景を春・夏・秋・冬で描いた作品で、この曲が7分半くらいの長さなので、
あまりAMラジオやFMラジオとかでかかる曲ではないので、聴けた人(私も含めて)はラッキーで一生物でした。
MC:ベトナムツアーの話
愛理さん「トイレに行きたい♪」
ベトナムの人「国の許可が下りない」
・・・・・・・・観客からクスクスと微笑が・・・・。
ここで何と、アクシデント発生!!
愛理さんのキーボードが、おかしく(変に)なったのです!
あら、一大事!
と言うわけで、急遽、ギターの人と愛理さんの歌声だけで、2曲目の「素敵なルネッサンス」。
3曲目が「YOU ARE MINE」(2004年4月21日に平松愛理さんが
闘病などで2年間歌手活動を休業して歌手活動を再開した時にリリースされたシングル曲)。
4曲目は「あなたのいた夏」(旧題:「題名の無いラブソング」)。
ここで何とビックリ!
何故かキーボードが復活!恐るべし神戸パワー!
5曲目の前に、「この曲は、よくタイトルを間違えて紹介されたんですよ」
と平松愛理さんが披露・・・そ、その大物司会者の名前は
・・・・「Tさん」(まあ、隠す事でもないので、書きますが「徳光和夫さん」です・後日談)と言う事にしときますが、
徳光和夫さんは、「部屋とYシャツと・・・・『ズボン』っ!」と仰ったそうです。そして、「部屋とYシャツと私」でした。
6曲目は「マイ・セレナーデ」。
わたしが時間的に「これで最後かな?」と思った7曲目が「SINGLE IS BEST ?」。
そしてMCがあり、
「震災9年目・震災10年目・震災11年目も、どれもわたし(平松愛理さん)にとっては同じ事です」
「神戸でわたしに出来る事を伝えたい」との言葉で締め括って・・・・。
8曲目に「美し都」(うましみやこ「~がんばろや WE LOVE KOBE~」・
阪神淡路大震災復興支援キャンペーンソング)で「神戸(KOBE)」の観客の大合唱の会場・神戸メリケンパーク南広場でした。
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