神戸チキンジョージ

神戸チキンジョージ

平松愛理

神戸チキンジョージ

平松愛理

2004年1月17日 

★ セットリスト ★

1.恋の証人
<MC>
2.HOW ARE YOU
3.月のランプ
<MC>
4.あなたのいない休日
5.虹がきらい
6.素敵なルネッサンス
<MC>
7.YOU ARE OURS
8.悲しくて悲しすぎて
9.明日にしましょう
10.部屋とYシャツと私
<MC>
11.YOU ARE MINE
<MC>
12.題名のないラブソング
<MC>
13.それなりの明日
14.SINGLE IS BEST!?
15.マイ・セレナーデ
16.SOMEDAY EVERYDAY
17.最後の音符
<MC>
18.南町から
19.美し都 ~がんばろやWe love KOBE~
<アンコール>
A1.最後の音符

★ レポート ★

 また今年もこの日がやって来た。1月17日…、けして心の奥底からは忘れてはいけない「あの日」である。阪神・淡路大震災が猛威を襲ったあの日から、数えて早9年が経過した。神戸を中心としてその他震災に見舞われた多くの地区では今やすっかり平穏を取り戻し、完全に復興は遂げたものと思われがちである。しかし震災で失ったものは数計り知れない。何より6000人強の尊い人命を奪った事は、けして忘れてはならない、変えがたい事実であり、また取り返しの付かない事態である。残されたご遺族や知人、友人におかれては尚の事であろう。故に今年も1月17日を迎えるに当たり、その事実を再認識し、残された者同士が手に手を取り合い支えあう事を誓うことは、実に有意義な事であるように思う。

 神戸出身のシンガーソングライターである平松愛理さんは、震災後『KOBEMEETING』と称されるチャリテイーライブを開催されてきた。かねてよりフタ自身も同チャリティーライブに一度参加してみたいと思っていたものの、東京から参加すると言う距離的な問題と、必ず1月17日に行なわれると言う日程的な問題があり、なかなか参加できずにいた。そんな中昨年行われた『KOBEMEETING』は17日が金曜日に当たったこともあり、これならば土曜日の休職日と絡めて参加がしやすいことから、自身初めて参加することに相成った。そして受けた感銘の数々…。これは機会があればまた参加したい、その時心の奥底から素直にそう感じたところであった。  その一方で、愛理さん自身の体調の問題もあり、2004年のチャリティーライブは開催されるのかどうか心配をしていた。何より愛理さんは高らかに休養宣言をされている最中でおられるし、今が愛理さんの体調を考える上でも一番大切な時期であるようにも思えていた。しかしそれはフタの杞憂にすぎ無かった。程なくFCから2004年もこれを開催することになった旨一報が入り、フタ自身ホッと一安心させられた事であった。勿論二つ返事でこちらへの参加を決めた事であった。 故に今回のチケットはFCで購入したものである。事前にハガキでライブへの参加申し込みを行い、追ってチケット代4700円を振り込んでおいた。折り返しの形で「当日にこのハガキをご持参下さい」としてチケットの引換券が手元に届き、これにて準備は万端である。

 さてこうして迎えた2004年1月17日の当日である。昨年末に購入したばかりのDVDコンポがいきなり故障してしまった(苦)ので、午前中にこれを然るべきサービスセンターに持ち込んだり、はたまたこれに付き合って貰った同居人と昼食を摂ったりしている内に、すっかり出発が遅れてしまった(汗)。  この日のライブの予定は18時会場19時開演となっていた。そして東京から神戸までは新幹線でおよそ3時間、その他細々な時間を入れれば余裕をみて4時間は必要となるであろう。而して逆算してみればもはやタイムリミットギリギリの14時13分東京発のぞみ73号で出発する。これに乗れば新神戸着は17時3分、何とかギリギリで間に合いそうな予感である。 低気圧が太平洋ベルト地帯を大きく支配し、今朝の天気予報では徳島や名古屋が雪に見舞われている映像が映し出されていて心配をしていたのであるが、新幹線に乗ってみた印象では、今のところ特に心配は無さそうだ。東京でも寒空の元、ちらりほらりと小雪が舞っていたが、本格的に雪となるのはこれから夜半にかけての事なのであろう。これが一日ずれていて明日に出発となっていたら…と考えるだけで、ゾッ~とするところである。

 およそ3時間の新幹線の旅を終え、新神戸で地下鉄に乗り換えて、三宮に到着したのは逆算したより若干早めの5時半過ぎの事であった。これ幸いとまずは駅に程近いカプセルホテルにチェックイン。荷物を預け入れ身軽になったところで、本日のライブ会場「チキンジョージ」へと向かい、チケットの引換券を提示してこれをチケットに引き換えた。既に多数のお客さんが今や遅しと入場を待つ列を成し、早速自分もこの入場を待つ列へと加わる。この日宛がわれたチケットの番号は80番であった。FC故に早い番号のチケットを用意して頂いた様子で、さすがはFCの一言である。お陰で今夜のライブは好位置じっくり堪能する事が出来そうな予感である。  思ったよりも六甲おろしの寒さを感じないままに、程なく入場開始となる。同ライブ会場は昨年も訪れた事があるので、大体の勝手は分かっている。入り口でもぎりを受け、500円と引き換えにドリンクの交換券を受け取る。中に入ってこれを自分の望むドリンクに引き換えると言うシステムであるが、事前に「本日のライブはスタンディングで行なわれる」旨耳にしたために、ドリンクに引き換える寸暇を惜しんで場所の確保に奔走した(実際に走った訳ではありませんよ。場内を走る行為は非常に危険です。誤解を受けるのも何なので、念のため記載しておきます。)ために、この交換券の恩恵を受ける事は無かった。 *2004年1月18日撮影

 しかしその一方でその甲斐があり、ステージ左手の前から数えれば3列目辺りの好位置をキープする事が出来た。何故左手に立ち居地を決めたかと言うと、ステージの左手にキーボードが備え付けられているのが確認出来たためである。愛理さん自身がライブ中にキーボードを用いて弾き語りを披露することは十二分に想定できる事であり、これに備えての左側キープであった。 思えば一年前、本来であればスタンディング形式でライブが行なわれるであろう同会場にあって、丸テーブルに座席が持ち込まれていたために、一度着席してしまうとお客さん同士がビッチリと密着してしまう事から、離席するのは至難の業となっていた事を思い出す。今回のようにスタンディング形式であるならば、ある程度の余裕が生じ、ライブに備えて予めトイレを済ませておく事位は容易に出来そうだ。

 今回のライブはJALが協賛してくれているようだ。ステージなど何箇所かにそのロゴマークが見受けられた。ステージの左右などに設けられたモニター部においても、何度かJALのCMがOAされていた。最初はJAL協賛らしくジェットストリーム(…はまだOA中ですか?)を髣髴させる軽音楽が流されていたが、これが程なく愛理さんが敬愛するカーペンターズの調べと相成れば、愛理さんの出番は程近いだろう。間もなくモニターに「恋の証人」をBGMとした神戸を映し出した映像が映し出されて、いよいよライブのスタートである。

1.恋の証人
<MC>

 ステージ向かって右手から愛理さんと5人のサポートメンバー(全員男性の方でした)がつかつかと入場して来て、まずは「恋の証人」の歌詞を神戸ver.にリニューアルしたものをアカペラで披露する。フタが始めて愛理さんを生で拝見した折にもアカペラで披露されていたと記憶しているが、愛理さんの美しい歌声が素直に伝わってくるところである。  次いでMCとなる。 「こんばんは。お久しぶり、平松愛理です~!!」 と、まずは簡単に自己紹介。続けて、 「昨年の今日は癌の手術後一ヶ月経たない状態で、…あっ、これがおととしか…、昨年は命の尊さを伝えるために、休業中でも歌いました。」 と、自身の口から『KOBEMEETING』を振り返る。 「今年はやってくる10年目に向けて、前向きに、普段よりアップテンポの曲を多めに用意しました。最後まで楽しんで行って下さいね♪」 と、更に今夜のライブにかける意気込みを熱く語ってくれた。

2.HOW ARE YOU
3.月のランプ
<MC>
4.あなたのいない休日
5.虹がきらい
6.素敵なルネッサンス

 「HOW ARE YOU」「月のランプ」と2曲続けて披露した後、再びMCに入る。愛理さんのライブにあっては、まったり聞かせてくれるこのMCもまた楽しみの一つであったりする。 「今晩は今までで一番来てくれたのかな?まず最初にテーブルがなくなると聞いてビックリして、次に椅子がなくなると聞いてビックリしました。迫り来るものがありますが、皆さん大丈夫ですか~?」 どうしてもスタンディング形式にあってはお客さんが前に前にと進もうとする傾向があり、その迫力に圧倒されんとする愛理さんである。 「私が一番大丈夫ではないかも?歌詞間違えちゃったし…(苦笑)。本番の前に自分で前髪を切ったら気になってしまいました。最初はアカペラでしたしね~」 いい意味での緊張感を持っている愛理さんの様子が伝わってくるところですね。 「昨年ルミナリエに行って来たんです♪」 と、MCは神戸で行なわれている光のイルミネーション「ルミナリエ」へとその話題が移る。聞けばルミナリエの開催には震災の被害者の追悼と、復興を祈る気持ちを込めて行われているのだと言う。 「予想以上に綺麗でビックリした。東京にも二番煎じのがあったよね?、えっ?、デカプリオ??」 ジョークも冴え渡る今晩の愛理さんである。 「光のアーチを見ていたら、みんな笑顔で、うつむいている人がいなくて、天を見ているアゴの角度が良くて…」 光と言うのは人々に明るさや笑顔をもたらすものなのであろう。アゴの角度に着目すると言うのは愛理さんならではの観察眼故であろう。 「東遊園地で3曲歌ったんですよ~。地元で、夜に、野外で歌を歌ったのは初めてだったんです…」 昨年にルミナリエに絡めて何かイベントが行われたのであろうか、MCはその時の思い出話へと移る。 「私の後ろに画面がありませんでした?フォーカスがぼんやりとしていて、当日頭に2つお団子をつけていたので、頭がもっこりしてしまって…。眉毛もたくましく見えたみたいだし…」 このイベントには愛理さんのお嬢さんをはじめ、家族のみんなも見に来てくれたのだとか? 「娘の近くにアベックがいて、私のことを「変な髪形~」とか言ったらしく、娘が(仕返しに)足を踏んできたって言っていたんです~(汗)」 と、この場を借りて謝罪しきりの愛理さんである。 「ママを応援してくれる娘、嬉しさ半分、せつなさ半分と言ったところですね~」 と、歌手・平松愛理としての気持ちと、母・清水絵里としての気持ちはなかなか微妙に揺れ動いているようである。  その他ルミナリエの電飾をいっぺんに消すボタンを押させて貰ったと言う話も披露する。 「会場全体を見渡せる場所に、へぇ~ボタンみたいなボタンがあって、これを押すと一度に全ての照明を消すことが出来るんです」 『へぇ~』、と感心する間もなく、話は先へ進む。 「30秒前からカウントダウンが始まって、3,2,1と来て0としたところで押したら消えました。とても申し訳ない気持ちになりました。」 フタが同じ立場でも同じ気持ちになり得たかも知れないところである。仮令えるのであれば、列を成して行進しているアリの行列の上からジョウロで水をかける様なものであろうか? 「電気が消えると、みんな足早になるんです。言葉も少なくなって、笑顔が真顔になってしまうんです。」 と感想を述べる愛理さんであったが、一方でいつもこのスイッチを押して電源を管理していると言う係員氏に感想を尋ねてみれば、 「消さないと明日になりませんから…」 と言われたとか…。前向きと言うか、ドライと言うか、何と言うか…。これを受けて愛理さんは、 「男らしい感想だった」 と、関心されておられました。 「これは音楽と一緒ですね。人の心をほぐして暖める。今日は土曜日、天国も休日なのかな~?」 愛理さんはふと震災で亡くしてしまった音楽仲間の事を思い出してしまったとか…。 「別に恋愛感情って言うのは一切無くて、それでもイイ人っているじゃない?そんな人だったんだよね~」 そんな愛理さんの思う気持ちを胸に抱きつつ、「あなたのいない休日」「虹がきらい」「素敵なルネッサンス」と3曲立て続けに披露された。

<MC>

7.YOU ARE OURS
8.悲しくて悲しすぎて
9.明日にしましょう
10.部屋とYシャツと私

「ありがとうございました~。皆さん温まりましたか?」 今夜のライブは前向きに…と宣言しているだけに、お客さんも徐々に平松ワールドへと引き込まれヒートアップしつつあると言ったところであろうか? 「2004年が始まりましたが、どんな年にしたいですか?」 これに対して、「いい年にしたい!」「復職したい!」なんて声が上がっていましたが、中には、「待ってるよ!!」なんて暖かい声もあがり、これに対して、 「ありがとう~♪」 と、愛理さんも感謝のレスをされていました。 「今年はうるう年。2月29日まである。貴重な年。今までどんな事をしてきたか振り返ってみました…」 一枚の紙切れを取り出して、今まで震災関連で行なったチャリティー活動を振り返る愛理さんである。震災直後95年3月には泉谷しげる氏主催の大勢が参加しているチャリティーライブに参加させて貰ったが、その中において「一言感想を…」と感想を求められて、ほとほと愛理さんは困ってしまったと言う。 「家も壊れてしまったし、みんなも亡くなってしまったし…」 愛理さんの胸の思いはとてもではないが一言で言い表すことは出来ず、結局はコメントを披露することは差し控えてしまったと言う。結果OAでもほとんど映っておらず、「やはり単独でやらないとダメ、伝えきれない」と、心の中で誓ったとの事だった。 96年は出産のことがあり活動は行われなかったが、97年1月から『KOBEMEETING』が始まった。最初の3年間は場所も転々としていた。そんな中、99年にレインボーハウスを訪れて歌を披露する機会に恵まれ、「美し都」を披露した。ところがサビの部分に来て皆一様に泣き出してしまったのだと言う。 「私は悲しませに来たのか…?とても複雑な気持ちになりました」 と、当時を振り返る愛理さんであった。これを受けて直ぐにブッキングをして3月7日にチャリティーライブをファンの集いと称して行い、2000年からはチキンジョージに場所を移して今回が5回目のことであるとの事だった。自身が主催して行ってきたチャリティーライブは都合9回に亘るとの事だった。  ここで話題が変わる。 「神戸以外から来てくれた人ってどれくらいいる?」 愛理さんからの質問に多数の手があがる。勿論フタ自身も東京からの参加故に挙手をする。思いの他多くの手が上がっていたと言う印象で、愛理さんも同じ印象を受けたようだ。 「去年も来てくれたって人は?」 これに対しても多くの手が上がっていた。去年のライブは愛理さん自身の問題で開演が1時間ずれこむと言うハプニングがあったが、これを受けて、 「去年はごめんね~」 と、恐縮しきりの愛理さんである。 「遠方から来てくれた方は口コミで神戸の良さを伝えてくださいね。泊まる方は神戸にお金を落として行って下さいね(笑)。」 多くのお金が神戸に落ちる事で復興支援につながり、ひいては愛理さんがわざわざ神戸でチャリティーライブを行なうと言う意味と意義があると言うものである。 「美味いものも多いしね~。神戸牛に、灘の酒。海の幸に、山の幸…。温泉は有馬が近いしね~。景色もいいですし、日本一好きな街ですね。」 地元出身の愛理さん他ならず、フタも神戸は好きな街の内の一つである。 「一年に一回思い出して貰って、死を無駄にしない。確認出来る場所にしたい。継続は力なり。そうそう今朝の朝日新聞を見ましたか?」 残念ながら東京在住のフタはこれを見てはいなかったのであるが、前方のお客さんがこれをお持ちで広げておられたので、大きく写真が掲載されていた事は確認出来た。震災関連の記事である事は想像する事に難しくないところであるが、肝心の記事の内容については確認できなかった。 「注目されていないと思っていて、ビックリした」 と愛理さんが語っておられた事から、『KOBEMEETING』に関する記事だったのであろうか?実際この日のライブにも報道のカメラが何台も入っていた。 「おととしは癌を伏せていて、10分も座っていられない状態だったんですが、後でVTRを見てみたら立ち上がって飛んだり跳ねたり、「世界い~ち~♪」とかやっていてビックリしました(笑)」 「昨年は死を無視できない。体全身がギリギリなものが神に伝えられたのでしょうか?」 今までの『KOBEMEETING』を振り返り、今年の『KOBEMEETING』への意気込みへとつながる。 「今年は私の使命と思えるようになった。癌になったが、音楽を、言葉を歌で伝えるように神が宿題を与えてくれたように思う。歌える限り『KOBEMEETING』を続けて行きたいと思います。」 これに対して惜しみない拍手が巻き上がったことは言うまでもないところであろう。 「これも皆さんのおかげ。感謝しております。命は替えが利かないですからね~。」  これに絡めて戦争で命を捧げる事の馬鹿らしさについても語られておりました。

 熱のこもったMCに続いて、「YOU ARE OURS」「悲しくて悲しすぎて」としっとりとしたナンバーを歌いこめる。前者では緑色の照明が、後者では黄色い照明がとても印象的であった。続く「明日にしましょう」はジャズ調での披露となった。この歌はうるう年の2月28日の事を歌ったナンバーだけに、今晩歌ってくれるのでは?と密かに期待していたのであるが、バッチリ披露してくれてとても嬉しかった。歌い上げる愛理さんにのみスポットライトが当てられて熱唱を盛り立てる。愛理さんの最大のヒット曲である「部屋とYシャツと私」はここで持ってきた。これはキーボードに座っての弾き語りで披露と相成った。

<MC>
11.YOU ARE MINE

 4曲立て続けに披露したところで、 「ミディアムな感じで3曲聴いて貰った後、部屋Yを聞いてもらいました。何かスローなジャズもやってみました」 と、MCに突入する。 「今日はマッハ文朱シューズを履いていて、こんな靴でジャズっぽいのはいいのかな?って思ってしまいました…」 と、足を上げて履いている靴を見せながら苦笑いの愛理さんである。黒のハーフブーツと言うのであろうか?靴紐が上の方にまであるので、見ようによってはリングシューズに見えないことも無い。それにしても『マッハ文朱』とは…、古っ!。 「今年はデビュー15周年です。これを記念して2月20日に本を出します!!」 と、ここで愛理さんから新たなカミングアウトが起きる。ホォーと一様に感心の声を上げる観客に対して、へぇ~、へぇ~と、トリビアの泉よろしくへぇ~返しをする愛理さんであった。 「あらこんなところに♪」 と、若干わざとらしく取り出して紹介してくれた書籍は、何とかおととい装丁が完成したものなのだとか。題して、『部屋とYシャツと「私の真実」』。う~ん、なるほど分かりやすい。愛理さんのセンスがまんま本のタイトルに表れた形である。すかさず場内から「頂戴♪」のおねだりが起こるも、 「そう言われてもそういう訳にはいかない。だって中身は違うんだから…」 と、苦笑いの愛理さんであった。愛理さんにとっては『ゲキツー』以来の出版で、カミングアウトした時のことからいろいろと書いてあるとの事であった。 「本にも書いたのですが、いろいろな人に感謝をしています。出会った人、モノ、全てに感謝を込めて…、CD化されていないのに、FCでも、HPでと言うのかな?、歌って欲しい曲の一位にもなった曲を歌います」 として、ここで幻の一曲「YOU ARE MINE」の披露となる。この曲名をお客さんにタイトルコールさせたかったらしく、2度こちらにマイクを掲げて曲名をコールさせた愛理さんであった。

<MC>
12.題名のないラブソング

 一曲歌い終えたところでMCとなるのであるが、愛理さんのホッと一息ついたような安心した笑顔がとても印象的であった。 「ライブの最初でも言いましたが、今日は前向きな気持ちをみんなに持って帰りたいと言いました。私はここで新曲を披露したいと思います」 ここでおぉ~っつ!と感嘆の声が上がったのは言うまでも無いところである。 「FCの集いでハワイに行き、未完成で歌った曲が完成しました。ハワイに来てくれた30人のみんなの前で歌ったときは詩も出来ていない題名の無いラブソングと言う曲名で歌いましたが、まだ題名は無いので、まだ題名の無いラブソングとして歌います。」 ウィットに富んだ愛理さんのこと、何となくこの曲の曲名は「題名の無いラブソング」として決まってしまいそうな気もするところではあるが…? 「今日は今日の風が吹く。今夜完結できれば…」 と、愛理さん。実はこの曲の中に出てくるフレーズで未だ決めかねている部分があり、これをみんなの多数決で決定したいとの申し出があった。歌詞の内容は、嘘をつく場面でその時飲んだ飲み物の味がしないと言うとフレーズで、その飲み物が具体的に何であるか?と言うことを決めたいのだと言う。 「コーヒーだと昼の感じだし…、ワインだと夜かなぁ~?」 と、愛理さん。これは拍手の形で詰め掛けたお客さんから意見を募り、無事ワインで行く事に決定した。慌てて鉛筆で譜面に歌詞を書き入れる愛理さんであった。 「CD化しても印税は渡せないよ♪」 どこまでも茶目っ気たっぷりな愛理さんである。こうして弾き語りで披露された「題名の無いラブソング」であるが、果たしてこの曲が日の目を見ることはあるのであろうか?

<MC>
13.それなりの明日
14.SINGLE IS BEST!?
15.マイセレナーデ
16.SOMEDAY EVERYDAY
17.最後の音符

 ここで久しく袖で待機していたサポートメンバーがステージ上にカムバックすると同時にメンバー紹介となる。一様に今回の為に製作されたチャリティーグッズを身にまとっている。Tシャツは勿論のこと、手袋だったり、マフラーだったり、帽子だったりと防寒具が目に付いた事だった。この収益金は勿論レインボーハウスに寄贈されるとの事で、併せて募金箱も設置させて貰った旨の告知がなされた。 「デビューして15年。でも2年休んでいる。今年は復活の準備に掛かりたい。復帰したらよろしくね♪」 愛理さんの頼もしい言葉、これこそが今日詰め掛けたファンが一番聞きたかった言葉ではなかろうか?

 ここからはライブも佳境に入る。本日のライブは前向きにアップテンポな曲を披露すると宣言しただけのことはあって、ここからは愛理さんを代表するアップテンポナンバーが文字通りオンパレードで繰り広げられる。「それなりの明日」「SINGLE IS BEST!?」「マイセレナーデ」「SOMEDAY EVERYDAY」「最後の音符」いずれもが愛理さんのナンバーにあって盛り上がりをみせるナンバーであり、かつフタがオキニのナンバーの数々である。 「それなりの明日」の時には、 「私が1,2,3とするので、3としたら『オォー!』って言って下さいね♪」 と、愛理さんからリクエストが入り、勿論これに応える。そして1,2,3として、『オォー!』とした瞬間にステージの両サイドから銀テープがピョッツ♪と飛び出す細かい演出が施されていた。愛理さんもタンバリンを手にしてノリノリの様子である。  「マイセレナーデ」は独特の手拍子で有名なナンバーであるが、フタは未だにこの手拍子が苦手だったりする(汗)。パンパン、パンパパン。文字にすれば簡単なのであるが、実際なかなか手拍子が思うように脳の指令に付いて来ない(苦笑)。愛理さんの手拍子を真似する事しばし、パンパン、パンパパンではなくて、パンパン、パン、パパン、と打つことでそれなりに上手く出来る事が判明して、その後は愛理さんと共に楽しく手拍子をしながら楽しませて貰ったと言う印象である。  森口博子に楽曲を提供している「SOMEDAY EVERYDAY」に続くのは「最後の音符」である。文句無しに愛理さんのライブにあって盛り上がり度No.1を魅せるナンバーであり、フタ自身愛理さんの曲の中で好きな曲を幾つか挙げて下さいと言われれば必ずエントリーさせたい程のオキニのナンバーである。この日の愛理さんの「最後の音符」はそれこそ完璧の一言に尽きるステージ振りであった。 『一体どこが休養宣言をしている身なの?』 と、愛理さんの体調が着々と回復されておられる事を、ひしひしと肌で感じ、また愛理さん自身ファンに体調が万全であることを大いに見せ付けてくれた形であった。  

<MC>
18.南町から
19.美し都 ~がんばろやWe love KOBE~

 盛り上がりナンバーが続いて場内がヒートアップしたところの、少しのブレイクタイムを利用して、レインボーハウスの方がステージに登場されて、愛理さん自身から目録の授与が行なわれた。今日のために作られたグッズの収益や、設置された募金箱に集められた募金は後日愛理さんやお嬢さんの手によって改めてレインボーハウスに届けられるとのことだった。  「南町から」が披露されればライブもいよいよオーラスを迎える。スクリーンには四季折々の景色が映し出され、愛理さんの歌声に彩を添える。愛理さんが生まれ育ったふるさとの四季折々の情景を、そして青春やその他思い出を全て盛り込んだ同ナンバーは、聞くもの全ての胸を打つ。フタは特に冬の歌詞にジーンとくるものがある。不幸にして被災者となられた方々の心情と合わせると胸を打つ。  この日のライブを飾るのはやはり神戸の復興を祈りこめて作られた「美し都」である。愛理さんの歌声に続いて、詰め掛けたファンがこれに追随して歌う。何度か練習していざ本番となる。 「WE LOVE KOBE がんばろや~♪」 今日はこの歌を歌いに、そしてこの歌を歌うことの意味、そして意義を再認識した事だった。

<アンコール>
A1.最後の音符
 こうして本日のライブは終了する筈であった。ステージ上には今日の出演者6人が手に手を取り合って万歳をして、そしてお辞儀をして、袖に下がり、追い出しとして愛理さんのナンバーから「朝のホームで」が流し出された。 『いやぁ~心に残るライブであった。本当に来た甲斐があったと言うものだ…』 と、フタ自身心の中で反芻していた一方で、場内からはアンコールを喚起する拍手が沸きあがり、この拍手はけして鳴り止む事は無かった。でも正直追い出しが流されていた事であるし、けして愛理さんや今日のステージを支えてくれたサポートメンバーの皆さんが再登場する事は無い事だろうと思っていた。  ところがステージ上を見ているとどうも様子が変わってきた。スタッフが登場してマイクの調節をする仕草を見せ、『ひょっとしたら再登場があり得るのか?』と思わせる雰囲気になってきた。思えば普通行なわれるであろう退場を促す場内アナウンスも流されない。いや流されないのではなく、客席から湧き上がる拍手の渦に圧倒される形で、流せなくなってしまったのではないだろうか? 結局根負けする形となったのであろうか、それとも愛理さん以下サポートメンバー皆さんのファンサービスたるやであろうか、皆さん揃っての再登場と相成った。 『本当に帰ってきたよ!!』 これにはフタ自身正直ビックリさせられたものである。 「みんな電車は大丈夫?普通『KOBEMEETING』はアンコールをしないので有名なんだけど、今日は特別だよ~♪」 これに対して勿論大いに沸く場内である。 「…なので、用意してないのよ~。私のCDも流したし…。あれは終わったって合図なんだよ(苦笑)」 と、苦笑いの愛理さんであるが、どことなく嬉しそうに見えたのはやはり今日の『KOBE MEETING』をこなしきった達成感故であろうか? 「何をしましょうか?さっきの中からにしましょう~」 とする愛理さんに、すかさず場内からリクエストの声が上がる。昨今のライブにあっては予め用意された演出としてのアンコールも多いが、これこそ文字通りのアンコールであろう。部屋Yをリクエストする声も上がったが、 「元気な曲がいいよね。毒入りスープを飲ませる歌って言うのもね~(苦笑)」 と言うことで、図らずも、もう一度「最後の音符」を披露する事と相成った。 「「飛ぶよー!!」でみんなで飛ぼうね。長い事歌えなかったし、渋谷公会堂で久しぶりに飛んだよね~。飛んでみますか!!」 場内は最後に見事に大きな一つの輪となり、本日のライブは大いに盛り上がりの中10時前に終了と相成った。実に3時間弱、アカペラにアンコールを加えれば21曲の大熱唱ぶりであった。

 ふとセットリストを振り返ってみたところ、愛理さんの代表曲の一つである「もう笑うしかない」が抜けていた事に気が付いた。開き直りを題材に作詞作曲された同ナンバーは、今夜の前向きなナンバーを取り揃えた…とする趣旨に反するので外したと言うことなのであろうか?  愛理さんが元気に歌い続けてくれること、そして歌い続けていることの意義、そして『KOBE MEETING』を神戸の地で、そして震災が起こった1月17日に行なわれることの意味を再確認しつつ、今回のレポを終わらせて頂きたいと思います。

ページの先頭へ