2003年 神戸ミーティング
2003年 神戸ミーティング
2003年 神戸ミーティング
2003年 神戸ミーティング
★ プロローグ ★
4度目の平松愛理さんのライブである。しかし通算4度は言うものの、2度目のライブと3度目のライブとの間にはおよそ6年ものブランクが開いているので、2度のライブが2セットで4度目と捕らえた方が賢明かもしれない。その空白の6年については愛理さんの著書「ゲキツー」の中で克明に書かれている部分なので、ここでは省略させていただきます。
自身愛理さんのライブレポを記すのは初めてである。正直前回昨年(2002年)4月のライブ(「おひさっ!」4月11日@渋谷公会堂/関連記事)に参加した際、『あぁ~、ライブレポをしたためておくんだった…』と悔念の思いを募らせたものである。
ご存知の方も多いかもしれないが、愛理さんはこのライブにおいて自身癌(乳癌)に侵されている事を告白された。フタにとって渋公でのライブは愛理さんの復帰を心からお祝いするライブであった筈なのだが、心ならずとも愛理さんは告白→休養の道を選ばれることとなった。告白をされた時の静寂が支配した場内の張り詰めた空気のことは今でもしっかりと覚えている…。
1995年1月17日、安全神話を打ち砕かんとばかりに起きた阪神・淡路大震災は、6000人超もの多数の方の尊い命を奪い去る結果となった。愛理さんは毎年震災の起きた1月17日に「KOBEMEETING」と称する震災復興チャリティーイベントを行っているのであるが、当然活動休止中の愛理さんがどのような結論を出すのかが注目されていた。
そんな中FCから送付されてきたお手紙には、コピーながらも直筆でしっかりと書かれた愛理さんの文章が封入されていました。そして愛理さんの暖かい胸の想い、しかと受け止めました。だからこそ神戸へ行かせて頂きます。
少しばかり大げさな言い方かも知れないが、フタのレポを読んでいただき、少しでも愛理さんの事、愛理さんの楽曲に興味を持っていただければとの思いから、今回ライブレポをしたためさせていただく次第である。前置きとしては若干長くなった感があるが、かくして、2003年1月17日、フタは神戸の人となった…。
★ セットリスト ★
1. Miss Very well
2. 素敵なルネッサンス
<MC>
3. 転ばぬ先の闇
4. あの日の忘れ物
<MC>
5. Dear my babe
6. 待ってもいいよ
<MC>
7. YOU ARE MINE
8. ローズの花束
<MC>
9. 部屋とYシャツと私
10.アイスモナカ
11.Single is best!?
12.君らしく
<MC>
13.10 years after
14.マイセレナーデ
<MC>
15.南町から
16.美し都 ~がんばろやWe love KOBE~
★ レポート ★
ANA23便で伊丹空港に降り立ち、その足でバスで三宮へと向かう。駅に程近いワシントンホテルにチェックインした後、三宮駅で主催のBONさんをはじめ、CMPの皆様と合流、喫茶店でお茶をしながら、オフ会形式で交流を深めさせていただいた。愛理さんのことを心から応援していて下さる方々が、こんなにも大勢おられることを知り、実に心頼もしく感じた次第である。 しかるべき時間となり、本日のライブ会場となる神戸チキンジョージへと移動した。チキンジョージは愛理さんがプロデビューする前からステージの上に立ち続けていた、いわばホームグラウンドのようなライブハウスであるが、残念ながら愛理さんが立っていた頃のチキンジョージは震災で倒壊し、現在は立て直されている。
整列入場に協力する形で、6時過ぎライブハウスの中へと入る。入り口で1,100円を支払い、フードとドリンクのチケットの引換券と、『P』と書かれた小片を頂く。これがイス指定の番号となるようだ。そのまま歩を進める形でフード(チキンジョージにちなんだ訳ではないですが、蒸し鶏とポテトフライにしてみました…)と、ジンジャーエールを受け取り、指定されたP席へと進む。会場全体はさほど大きくはない。正面にステージを見て、その前にビヤガーデンよろしく、スチール製の丸テーブルとそれを取り囲むようにパイプいすがところ狭しと並べられていた。
軽食を取りながらライブを楽しんでくださいと言うことなのであろうか。さながらディナーショーのような感がする。幸いP席はど真ん中に位置していて、かなり正面の角度からライブを見ることが出来た。しかしながらかなりきちきちにお客様を詰めてしまったために、着席してからライブが終了するまでおよそ4時間、トイレにもいけずにその場に座り続けることを余儀なくされてしまった。フタは水物を控えてトイレに行かなくても済むように努めたが、ビールが進んでしまった結果であろうか、根性で周りのお客さんの協力を得てトイレへと進む方の姿も見受けられました(笑)。 ライブ開始予定時刻は7時であったのだが、10分経っても、20分経ってもライブが始まらない。次第に、
「愛理さんの身に何かあったのかな?」
と心配になってしまった。30分ほど過ぎた辺りでようやくアナウンスが入り、愛理さんの準備が整っていないとの説明があった。それでも不平の声が聞かれなかったのはお客様が大人の方だからであろうか、それとも愛理さんが大変な身であることを、重々承知しているからであろうか。
結局、先程来流されていたBGMにサイレント映画の映像が停止し、場内を照らしていた照明が消されたのは8時を過ぎてからの事であった。
ライブのオープニングは「Miss Very well」からスタート。愛理さんの曲はシングルカットされていない曲にも数々の名曲が隠されているが、同曲もそんな曲の1つである。「素敵なルネッサンス」は前回渋公でのライブでも披露してくれたナンバーと記憶している。ベスト番が発売されれば必ずとも言ってもいいほど収録されている愛理さんの代表曲である。共に高めのイスに座った形での披露となった。何せ休養中の身であるし、長丁場のライブのオープニングである。無理は禁物である。
ここでMCとなる。愛理さんのライブはその歌声のすばらしさを堪能することもさることながら、MCもその魅力の一つとなっているのである。
「お待たせしました~。休業中であるがために、ホント手際が悪くて…、すいませんでした」
まずは愛理さんからのお詫びからMCはスタート。待っている間は愛理さんの身に何かあったのか心配してしまったが、どうやらそれは杞憂であったようで、まずはホッと一安心である。
次いでKOBEMEETINGの話へと移る。昨年のKOBEMEETINGはガンの摘出手術を行ったばかりであったにも関わらず、子宮内膜症からの完全復活宣言をしてしまい、これが結果的には嘘だったこととなり、申し訳ないことでしたと、またまたお詫びトークとなる。
愛理さんは現在休養中の身で、今回のライブもどうしようかと思案していたが、チキンジョージのコジマ社長から「当日の会場は空けておく」と連絡を頂いたこと、チャリティーライブの収益金を震災遺児院『レインボーハウス』へ愛娘である初一音(ハイネ)ちゃんと寄付しに訪れた際、お嬢さんから励まされたことを受けて、今回ステージ立つことを決意したとの事であった。
今回のライブを通じて、私が何かをしなくてはと言う使命感と、そして生きると言うことの大切さを伝えたいと、決意を語ってくれたことだった。
「転ばぬ先の闇」に「あの日の忘れ物」と懐かしい2曲を挟んで、再びMCとなる。
「座っているけれど、後ろのほうの方見える?」
とお客さんを気遣う愛理さん。
「立った方がいい?」
と一度立ってはみたものの、イスの高さが高いので、さほど変わらなかった(笑)。
「イスが温まってきたら立つことにしましょうか?」
(すなわち佳境に入ってきたら?)という事で話はまとまり、次いで出産の時の思い出話へと進む。
愛理さんは子宮内膜症に侵されながらも、奇跡的にお嬢さんを宿すことが出来た。その出産の苦労も並大抵なものではなく、帝王切開で行われた。ちなみに大きい病院での出産だったため、一度に10人くらい出産が行われていたとか。愛理さんはこの時の様子を『まさにまな板の上の鯉状態』だったと語っておられました。切開しておなかがつながらないうちに産湯に漬かって戻ってきたお嬢さんが、近くまで運ばれてきた。その時愛理さんはお医者さんに反対されたにも関わらず、ハッピバースデーの歌をうたったという。横隔膜まで開かれていたのか声は声にもならなかったそうだが、それでもお嬢さんは歌声を聴こうとしていた様子が手にとるようにして分かり、
「あっ~、歌は思いを伝えるものなんだ」
と、改めて実感したとの事だった。ちなみにこのトークは以前HEY×3に出演されていた折にも、話されていました。その時、浜ちゃんから、
「あんた無茶苦茶しまんな」
と突っ込まれていたことを、ふと思い出しました。
トークの流れから、次いで披露されたのはそんな愛娘の事を思いつづった「Dear my babe」だった。歌っている途中思い募ることが多々こみ上げてきたのであろう、思わず曲中涙する場面も見られた。会場を支配する愛理さんへの同感の想い…、曲が終わってもしばし拍手が起こらず、ふと我に返り慌てて拍手が起きたことだった。
キーボードによる弾き語り付きで「待ってもいいよ」を披露した後、3度目のMCへと突入する。
「今日は平松愛理復活ライブでもないのに泣いてしまいました…」
やはり愛理さんにとって愛娘の存在は大きいようである。折に付けいろいろと話は伺わせておりましたが、情愛の深さを改めて感じた次第である。また一方で、
「いま歌ったのは…なんでしたっけ?」
と、「待ってもいいよ」の曲名を度忘れしてしまう一幕もありました。これはお客さんがフォローをして事なきを得ました。
今日はいろいろとカメラが入っているのであるが、中でも某日テレ(某でもなんでもないですね(笑))からは密着取材をと言う話を頂いて、おととし(注:2001年)以来ずっと取材を受け続けている。昨年のKOBEMEETINGをにらんだおととしの秋から冬にかけてのこと、次回のKOBEMEETING(注:前回2001年のKOBEMEETING)では書き下ろしの曲をという話が出たのであるが、8月31日に夏休みの宿題を消化する心境よろしく、12月になってもなかなか出来上がらなかった。そんな中で出来上がったのが、未だCD化もされていない「YOU ARE MINE」であった。それこそ天から舞い降りるようにして曲は降って沸いてくるのであるが、どれも愛理さんのカラーが出ているものではなく、結局完成に至ったのはこの1曲だけだったとの事だった。
昨年日テレでOAされただけにも関わらずこの曲に対する評価は高く、寄せられるリクエストでは1位を飾っているとの事だった。
「今まで苦労して行ってきた新曲の全国キャンペーンとかは一体なんだったのか…」
と、苦笑いの愛理さんである。
この曲のタイトル「YOU ARE MINE」のYOUとは何かとこの1年考え続けたが、YOUとは今までに出会った全ての人、全てのものであることが分かったとのことだった。だからこそ今日会えた事もYOUなのである。経験したものが全てYOU、そして全てがMINE:自分のものとなる…、いかにも愛理さんらしい解釈である。
そんな訳で「YOU ARE MINE」を披露。広がりのある歌詞には愛理さんの声量溢れる歌声がぴったりと来る。
懐かしいところから「ローズの花束」を披露した後のMCでは、チャリティーに際して作成したグッズについて紹介がされた。携帯ストラップに、Tシャツ、マフラー、いずれにもハートをデザインしたロゴが印刷されている。これは愛理さんがデザインされたとの事だった。
ついでビデオで懐かしい映像が映し出された。愛理さんがアマチュアバンド『WIPEOUT』のボーカルだった頃の映像で、ヤングプラザという番組でのものだったようだ。ちなみに当時はまだ16歳だったとのことだった。
ライブもここから終盤戦に突入。まずは愛理さんの最大のヒット曲「部屋とYシャツと私」から始まり、「アイスモナカ」「Single is best!?」「君らしく」と、4曲立て続けでの披露となった。「アイスモナカ」の曲中にはメンバー紹介も行われ、それぞれのソロパフォーマンスも行われた。愛理さん自身キーボードでのソロパフォーマンスは初めてとの事であったが、
「どうだった?」
との問いかけに、場内から盛大な拍手を以って賛辞と相成った。「Single is best!?」はCDなどに収録されているものとはまた違った雰囲気のアレンジで楽しませてくれ、「君らしく」を披露するに当たっては、遂にいすから立ち上がって振り付きで曲披露となった。愛理さんのエンジンも絶好調と言ったところだろう。
「10年後にも歌っていたい…」
と決意を語ったところで、「10 years after」を披露すれば、手拍子が印象的な「マイセレナーデ」を立て続けに歌う。しかし「マイセレナーデ」の手拍子、何度挑戦してみても上手く出来ません…。来るべき復活ライブに向けて、自主トレにでも励むとしましょうか!?
余談ながら「マイセレナーデ」がスタートしてまもなく、
「んっ?なんか変??」
と演奏が中断する一幕も見られました。これも生ならではのハプニングですね。
「あたしが変なのか…」
照れ笑いする愛理さんがとても印象的でした。
次いでのMCでは寄付金の贈呈式が行われました。今まで市役所やその他箇所に寄付を行ってきた愛理さんであったが、時には気を利かせて新聞社などを呼んでおいてくれたこともあったそうだ。しかしながら売名行為になるのはどうも…として、今まで取材は断っていた経緯があったそうだ。しかしながらそれでは寄付をしたという証拠にならないのではと思い、取材拒否の胸の思いを解禁し、今日ここで直接寄付金を手渡すこととしたとの事だった。
しかして壇上には件の『レインボーハウス』のトミオカ氏が上がり、愛理さんから目録を受け取ると、場内から割れんばかりの拍手が沸きあがったことだった。
ここからは震災に思いを寄せて作られた曲が続き、ライブはいよいよオーラスへと向かう。
まずは胸の中の一切の思いを書き切ったという「南町から」が披露される。この曲は四季それぞれの思いが込められているのであるが、フタは特に冬の章にジーンと来る。
『捨てるはずのなかった果たすはずの思いが 天国で雪になる 希望へと向かった時もう一度愛になって すべての人に降るの…♪』
ここの歌詞に想いを寄せるファンの方は多いはずだ。まして震災で被害に見舞われたかたの心中は推し量るべくも無いところである。今夜のライブでは一字一句確かめるように、言葉に思いを乗せるかのようにして愛理さんが歌いこんでいたのが、特に印象的であった。
ライブの最後を飾ったのはやはり震災関連で作成された「美し都 ~がんばろやWe love KOBE~」である。この曲はやはり同じく神戸出身である作詞家阿久悠氏が作詞した歌詞に、愛理さんがメロディーを乗せたものである。発売された当時、この曲の収益金は義援金として寄付された経緯がある。
愛理さんの先導の下、サビの部分ではお客さんが正に一体全となっての大合唱となった。
『WE LOVE 神戸 がんばろや…♪』
この歌の持つ意味をかみ締めながら、志半ばで無念ながらも天国へと旅立った犠牲者の思いをしのびつつ、追悼の意を込めて一緒に合唱させていただき、ライブは幕を閉じたことだった。
★ エピローグ ★
…と言う訳で、今回のチャリティーライブが終了したのは実に10時半過ぎのことだった。普段平和な暮らしをしていると、明日にでも地震が起こって震災に見舞われるという可能性があるということは微塵にも覚えなくなってしまう。まして水がある大切さ、空気がある大切さ、食べ物がある大切さ、ひいては健康に、健全に生きていると言う大切さなど、それが当たり前という間違った認識を覚えて暮らしていると言う実情がある。
1月17日、図らずも記念日となったこの日が訪れるにつれ、震災の大変さと、被災者の皆様の想いを再確認すると言うことは非常に有用なことであることを、強く認識した。そして一瞬にして奪われた尊い命を鑑みて、今生き残ったもの達は、今生きていると言うことのすばらしさを強く認識し、亡くなった方々の分までも一生懸命に生きていかなくてはならない、生きて何かをしていかなくてはならないと、思いを新たにさせて貰ったことだった。
ライブを終えてこんなすがすがしい気分となれたのは本当に久しぶりであった。何より愛理さんが冒頭で語った
「何かをしなくてはと言う使命感と、そして生きると言うことの大切さを伝えたい」
という思いがひしひしと伝わってきた。
ファンとしては一日も早く愛理さんの復活ライブを望みたいところであるが、まずは病魔との格闘に専念し、一日も早く完治を目指して貰いたいところである。
震災で被害に見舞われた方々と、愛理さんの回復を祈りつつ、今回のライブレポを締めくくらせて頂きたいと思います。