部屋とYシャツと私をどう解釈してる?
わかりやすく説明いたします。
部屋とYシャツと私
女性版関白宣言。
平松さんがメディアで部屋とYシャツと私、を紹介され るとき 女性版関白宣言・関白宣言のアンサーソングというひとことを さんざん聞いてきた。ラジオ字おこしでも、その紹介はたくさん されている。いつもどうりだなと思いつつも実はあまり実感がなかった。 でも、この表現はずっとついてまわるので、今回、関白宣言を改めて 調べてみることにした。そしたらおのずと、理解できたのである。 関白宣言は1979年の曲、私が5歳の頃の曲だ。だからあまり実感がなかったんだ。 もうその頃子どもだった方が熟年層になるような曲ともなると、今の世代がじっくり 聞いている人も少なかろう。元々、この曲もさださんが好き好んで作ったわけでは ないこともなんとなくわかった。でも、男が結婚に対してものを申している。 平松さんはその点、1979年時点は思春期にあたる。この曲を恐らくは聞いた ことだろう。そう思ったのにはやっぱり理由がある。 スタートから、どちらも私のいうことを聞いてほしいといっている。 さださんの浮気の下りの歌詞に関しては、あいまいな表現が面白かった 平松はそこで、毒入りスープの投入だ、 ラストも確かに、老いたあとのことをいっている。 関白宣言では先に死ぬな。といっている。 部屋Yでは右の眉を見届けてから旅立つといっている。 流れは似ているのである。確かにアンサーソングといえる。 だが、リアルタイムで聴いていた私にとっては、私は、さださんの曲は 関白失脚のほうが好きである。結婚の実態は関白失脚のほうがリアリティが ある。1994年発表。実際、BONも結婚10年以上経つが どちらかというと、緊急時以外、男はしたっぱに出たほうがうまくいく ものと実感している。いや、そう思う。 子供も育ってきて、さらに思うのである。 名曲になるには、時には、なにおう?という極端さも必要かもしれない。 関白宣言しかり、部屋Yしかり、 私は西野カナさんはちょこっと聞く程度だが、トリセツはここまで 結婚に重くない感じがする。よろーみたいな感じで。 これは時代の流れか、結婚に対する重さが年代で変わってきたのか 定かではないが。