もう笑うしかないについて

わかりやすく説明いたします。

平松愛理

もう笑うしかないについて

平松愛理

もう笑うしかないについて

平松愛理の10枚目のシングル。92年9月に発売。連続ヒットの法則として季節ごとに新曲を出す慣例があった 90年代。まだ、部屋Yは20位代をキープしていた時のリリースである。満を時してのリリースといえよう。 17.2万枚。最高位17位。これも20週にわたりTOP100内にとどまったロングテールヒットである。 日新火災CFソングとして知られるが、この関連のエピソードはここ20年では語っていない。

一番を示す人差し指をたてて左右に振る、ライブお約束であったほど、ヒット時期のライブは定番の曲で あったが、最近ではそれほどの回数は歌っていない。一応データとして書くと(1999-2009)では13回、9位 KOBE MEETINGでは10回で10位である。選曲率としては50%といったところか。

平松愛理としては珍しいクリアサウンド曲。平松はどちらかというと、メジャーだがマイナーだかわからない 曲が好きと公言しているとおり、マイナー音のないこの曲は珍しい一曲といえよう。逆にスタッフからしてみると このような曲を望んでいた節があり、ウサバラ。DE東京は、もう笑うしかない、が00年代になったら? というリクエスト曲に近いテーマも存在する。実際にリクエストしたかは別にして。

もう笑うしかない
ウサバラ.DE東京
 

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