スーパーテレビがくれたもの

わかりやすく説明いたします。

平松愛理

スーパーテレビがくれたもの

平松愛理

2004年はまだテレビは絶大だった

2004年、それはまだYouTubeが一般化する前、 まだ、スマホもなく、ネットはあったが普及率は発展途上中であり、まだまだ、 テレビというメディアは絶大な力をもっていた。平日とはいえ、22時に一時間も 特番で平松ドキュメンタリーが流れるということが、 どれほどすごいことだったか計り知れない。プロデューサーは清水潔さん。何度か食事させていただいたが 、本当は簡単に食事できる ほどの方でない。ここでは 清水氏のことは多く語らない。興味ある方は検索して ください。密着取材なので 再現VTRは一切使わず、すべて本人の映像。2000万人は見たかもしれない。平松さんのテレビ映像の中で、 一番影響力のあった番組。  

平松の目つきは鋭かった

平松愛理

平松の目つきは鋭かった

YOUTUBEで見せてくれる 陽気で元気づけられるキャラクター。いろいろ経験して、魅力ある笑顔をみせてくれる、近年のイメージだが、この当時は病気の上、 心無い中傷も多かったこともあり、笑顔はなく、表情も辛さが見えていた。そんな中でも密着取材は続く。  

ドキュメンタリーみない?からはじまった

平松愛理

ハワイの平松ドキュメンタリーみない?からはじまった

清水氏は2003年1月に、ハワイ密着取材、もう一度歌いたい、30分番組を放送した 私もハワイツアーに同行した。私はその平松ドキュメンタリーをファンにみてほしくて、当時、平松愛理と 検索してでる個人のホームページに訪れてファン交流をしていたが、当時、九州の大牟田地方で先生をして いた方と友達になり、ビデオをお送りした。その方は 生徒たちにみせて、感想文 送るといった。まあ、よくある建前上の言葉だと思っていた。だが、違った!私宛に、分厚い封筒が届き、 生徒さんの感想文みたとき これは大変なことになった と、当時のマネージャーに 相談の上、事務所に送った。清水氏はそれを逃さなかった。ファンの私がきっかけを作ったものの、その ビデオのプロデューサーは 彼自身だったからだ。そこで、平松は大牟田に出向き 感想文送った生徒たちの前で生歌を披露する。この内容に感動を覚えた方も多いだろう。そして一番勇気づけらるたのは平松本人だと 私は思っている。人は逆境に立つとそれまでの人生を 振り返る。辛かったこと、 嬉しかったこと。すべて。 平松さんに至っては、21世紀は試練の連続だった。病気、離婚、そしてコロナ。 そんなときに、平松さんの心支える唯一のテレビ番組になっていることだろう。 清水氏にはこの場を借りてお礼を申し上げたい。  

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