まめ

ライブレポート(まめさん)

BON

ライブレポート(まめさん)

BON

「Slow Room」 20th Anniv. Tour

1.あなたのいた夏
2.虹がきらい
3.戻れない道
4.GIRLFRIEND
5.待ってもいいよ
6.花と太陽
7.シングルマザー
8.部屋Y
9.月のランプ
10.青春のアルバム
11.マイセレナーデ
12.もう笑うしかない
13.Single is Best!?
アンコール
14.YOU ARE MINE
15.20年目の手紙
16.ステルネ

こんばんは、平松愛理です。名古屋の皆さん、お久しぶりです~。 100年振りに来ました~。(笑) 久し振りで、気持ち良く唄いすぎて、 ほんとは2曲唄ったら喋るはずだったんだけど、4曲唄っちゃいました~。 途中で何とかしようと思ったんだけど、どうしようもないよね。(笑)  昨年、東京で「Slow Room」というマンスリーライブをやっていました。 今ってね、100年に一度の不況と言われて、家族のこととか、 仕事のこととか、ストレスがない人っていないと思うんですよ。

「Slow Room」っていうのは、そういうことは忘れて、 忘れちゃいけないかもしれないけど、この場所でだけは忘れて、 ゆったりとした気持ちになってほしいと思います。 ゆったりって言っても、ただ唄ってるだけじゃそういう気持ちにはなれないから、 頑張って、喋るのも忘れるくらい頑張って(笑) 気持を込めて唄います。最後までよろしく。

「Slow Room」を名古屋でもやりたいと思って、 場所を探しました。私はデビューしてから20年ですけど、 この今池のボトムラインができてから丁度20年ということで、 ここに決めました。偶然ですねぇ~。 今回のツアーは今日が初日ですけど、この後もありますので、 ちょっと遠いけど、よかったらこれに懲りずに来てください。 8/10が広島Jive、ちょっと遠いなぁ。(笑) 8/21が東京スイートベイジル、 広島より近いよね。そして8/26が神戸チキンジョージ、う~ん・・・広島よりは近いよね。

私は神戸の出身ですけど、チキンジョージって憧れの場所で。 もう、ここのステージに立てたらって。でも、ここのお客さんには鍛えられました。 今は違うけど、手拍子とかもなかったりしてね。 だから、少しくらいのことでは動じません。 まあ、神戸という、きれいな風景もあって、 おいしい食べ物もいろいろあるところでやりますので、 よかったら皆さん来てくださいね。

(「花と太陽」に関するMCの後) 一人のために本気で作った曲って、 100人、1000人、1億人に伝わるものだと思っています。

次の曲を歌う前に、話したいことがあります。 友達が結婚するって言うので、何か曲を書きたいと思って、 書いた曲があります。その曲はアルバムの中の曲だったんだけど、 有線で1年半かけてランクアップしていって、シングルカットされて、 皆さんに聴いて頂けるようになった曲です。 今日はその結婚したはるみちゃんのお兄さんが この会場に来ています。(客席が明るくなる)  大丈夫ですよ~。ステージに上がってとは言わないから。(笑) それでは、私のアーティスト人生を変えた曲です。(部屋とYシャツと私)

 この前、テレビで唄いました。バラエティー番組で。 「あのときの真実を語る」みたいな番組で、みのもんたさんと、 美川憲一さんと、研ナオコさんがいて。 デビュー当時の話ですけど、伊丹空港で本当にあった話で。 再現フィルムとかが流れるんですよ。私に似た人が出てきて、 はるみちゃんも出てきるんですけど、似てなかったなぁ。 8/11かな。なにしろ8月の火曜日放送です。 私は怖くて見られないので、皆さん見てください。(青春のアルバム)

「Slow Room」ということでやってきましたけど、 「Single Slow Room」っていうのもいいかなぁって。 「Single Mother」って私ですね・・・ここ、笑うとこですよ。(やや笑い) さっきのテレビで、「結婚って、思っていたものと違いましたか」 って聞かれて。(実際には、ここで上述の各氏のものまねが入るが省略)  そんなねぇ。(もごもご)声が小さくなってますけど。 お金で買えないものを得たと思っています。 本当にね。「Single Slow Room」、まあ男の人でもいっかぁ~。(シングルマザー)

Encore  本当にありがとうございます。 あの(マイセレナーデの)ツースリーの手拍子が決まるってね。 あれは練習しないとできないから、多かれ少なかれ練習したと思うんですよね。 時間というか、歴史を感じますよね。  今、いっぱい曲を書いているんですけど、デビューしてから20年ということで、 創った曲があります。今創っているアルバムにも入れようとしている曲なんですけど、 聴いてください。(20年目の手紙/1コーラス目、サビのところで涙で声を詰まらせる)


BON

平松愛理とチキンにまつわる仲間達 “チキン、リニューアル万歳!!!”

 私にとっての愛理さんの初ライブは、2003年のKobe Meeting、場所はチキンジョージであった。数年ぶりにその場所でライブがあるということで、何か特別な感じがする。そんなこともあって、前夜に神戸に行き5年前のライブの後で飲みに行った店に入る。ライブ前日なので多少控え目にと思いながらも、12:00過ぎまで飲んでいた自分っていったい・・・。  久し振りに開場時間前に行けたこともあり、2列目中央付近の席を取る。(この日も全席自由で整理番号順の入場) 1列目がステージ先端から2m程度だからかなり近い。考えてみれば、この会場で真ん中より前でステージを見るのは初めてのような気がする。  リニューアル後のチキンジョージは、生田神社前の通り側から地下に降りて会場に入るようになっている。会場内はステージ右上と左壁面にモニターが付いていた。この壁面モニターが結構大きく、MCでも話題になっていた。ステージの雰囲気と中央上部の「Chicken George」のプレートは以前と変わっていなかった気がする。  予定時間を少し過ぎて開演。「君にしとけば良かったなんて」からスタート。サビの部分を「チキンジョージがリニューアルしてたなんて~」と変えていたりする。このフレーズを思い付いて選曲した? 続いて「素敵なルネッサンス」。最近、序盤で唄うことが多いと思うのは気のせいか。  「こんばんは、平松愛理です。チキンジョージがリニューアルということで、小島社長おめでとうございます~。(拍手) 私が初めてバンドを組んだのは28年前なんですけど、あっ、年が・・・(笑) 当時チキンジョージは憧れのステージでした。デモテープを作って『お願いしますっ』って持ち込んで・・・鳴らない電話を待つっていうね。今日は、みんなでリニューアルをお祝いしたいと思います。」  「リニューアルのこけら落としは『浪花エキスプレス』の3daysでしたが、見た人います? 私も3日目に見させて頂いたんですけど、パワーは変わっていなくて、でも円熟味があって。私も来年でデビュー20周年になります(拍手)。で、今年は曲を創ろう。ライブごとに新曲を発表しよう(拍手)。はっきり言って、自分の首締めてます(笑)。そして、それらの曲でアルバムを創ろう、と思っています(拍手)。それでは、ってなんかみんな固いですね~。だんだんほぐれていって下さいね。さっそく新曲です。」  新曲は「花」というバラード系(?)の曲。そのあとバンドメンバーの紹介。それぞれ、今までにバンドを組んで、あるいはアーティストのバンドメンバーとして、このステージに立った経歴で自己紹介となる。思い出話などを交えながらのメンバー紹介であった。  ここで1曲「虹がきらい」のあと、チキンジョージの話が続く。矛先がバンドメンバー唯一の若手へ。「みんなこのステージと共に歩いてきたんですよね。(振り返って)君以外は。わかってる? どういうことか。これから孫の代までこの場所を語り伝えていく使命があるんだからね。」 いえ、「孫の代まで」と言う程には若くなかったと思うんですけど・・・。  「戻れない道」「思い出の坂道」と2曲。私には理解しきれない女心の2曲だったりもします。  「私が初めてバンドを組んだのは17歳のとき、『Wipe out』というバンドでした。今日は、当時のギター兼バンマスに来てもらいました。(ギター登場) それでは、あのときの名曲をやりましょうか。『リバージュ2008』。」  今の時代の曲調ではないが、○○年頃という程古くは感じない。アレンジを変えたのか、時代を先取りしていたのか・・・。しかし、曲のときの2人の表情が良い。というか、ギターのお姉様がカッコいい。私の席からは、愛理さんのすぐ横に見える位置だったこともあるが、思わず愛理さんよりも・・・(以下、省略)。  「いや~、○○年前の曲ともなると・・・キーが半音下がるんですね~(笑)。次の曲ですけど、毎朝電車で通勤しているサラリーマンの方たちにとっては、けっこう『くる』曲だそうです。って、ミュージシャンがぐうたらなわけじゃないですよ。」  次の曲は「朝のホームで」。私は、電車での通勤通学からは18年遠ざかっているが、かなり「くる」曲です。「自由な生き方」って、実は難しいものだと私は思います。  「今日は『チキンにまつわる仲間達』ということで、まだありますよ~。以前音楽をやってて、それから音楽を続けている人もいれば、全然違う道に進んで行った人もいる。ということで、去年のKobe Meetingで一度限りと言ったんですけど、今日再結成しました。『ちょいワルオヤジーズ』。  彼らは当時憧れの人たちで、あれ? みんな履歴書持ってきてないの? 持ってきてって言った・・・あ、ある? それでは紹介しましょう。」 この後の自己紹介は、当時のバンド名、出場したコンクール、今の職業など。コンクールのグランプリ、最優秀ボーカル獲得、それからポプコンつま恋本選会出場など・・・。とにかくすごい経歴の人達である。  「今は歯医者さんとか公務員とかしている人たちが、今日こうやってバンドを再結成する、と。で、またレパートリーを増やしてしまいましたね。『一緒に遊ぼう』です。」  「私のライブは、練習とか言っていろいろとさせられる訳ですけど・・・練習です。(キーボードに移動、以下『美し都』のサビ部分の練習コーナー) それでは一緒に唄ってください。『美し都』です。」  「Wipe out」「ちょいワルオヤジーズ」と共演での「美し都」。ステージは、さながらジョイントライブのフィナーレという感じである。この地で、このステージで、このメンバーでのこの曲に、「Kobe Meeting」で聴くものとは一味違った良さを感じていた。  ゲストコーナーが終わって、「月のランプ」。選曲から、そろそろ終盤かなという感じがする。  「じゃ、これから盛り上がっていくよ~。(ドラムが音を刻む) Stand Up ! Stand Up!!」  「もう笑うしかない」のイントロ。私も結構な数のライブを見ているが、露骨に「Stand Up !」と言われたのは記憶にない。とにかく立ってみると・・・やっぱり近い。ライブハウスならでは、である。で、近いとアドレナリンが多くなったりもする(と思う)。続いて「マイセレナーデ」のイントロに乗せて手拍子が始まる。会場の一体感という点で、このような「お約束」の威力は大きい。私はこういう「お約束」が好きです。  「最後の曲になりました。今日はどうもありがとう~。」  ラストは、ライブバージョンの「最後の音符」。ステージを所狭しと走り回る愛理さん(実際、広くはないけれど)。私の場合、このあたりでは普通でも半分壊れていたりするのだが、なにしろ近いこともあって、いつもよりも壊れ方が・・・。(興味がある方は・・・やっぱり見ないでください)  曲が終わり、マイクなしで「ありがとう」と愛理さん。マイクなしで声が聞こえたことに改めて近さを感じる。  愛理さんとバンドメンバーが袖に下がるのとほぼ同時に、アンコールの手拍子。後ろのほうから、「まだあるんやろ~」という声がする。誰かと思えば「ちょいワルオヤジーズ」のボーカル氏である。  「ありがと~。(ボーカル氏のほうを見て)もう自分の出番が終わったらこれだからな~。」  「それでは、また練習です。昔懐かしい輪唱です。サビで『ピ~ラ~フ~に~なりたい』というのがありますので、そこを輪唱してください。(以下、輪唱の練習パート) え~、これをずっとやってると有酸素運動になって、体があったまってきます。私が『ハイ』って言ったら今のをやってくださいね。それまで、なんやかんややってますので、しばらく待っててください。では『ピラフになりたい』。」  東京のライブで未発表曲の1つとして唄った曲である。そのときに、「またやるから」と言ってしまったため、このアンコールで唄うことになった・・・かどうかは定かではない。FC HPのDiaryで予告されていた曲でもある。  「今日のお客さんに、今度結婚される方がいます。その方、そして祝福を贈りたい全ての人へこの曲を贈ります。『部屋とYシャツと私』。」  曲が終わり、愛理さんが下がっても、アンコールの手拍子は止まらない。客電も付かない。果たして、2回目のアンコールになる。  「私は毎年、神戸で1/17に震災復興ライブ『Kobe Meeting』をやっています。今年で13回になります。その中でやるかどうか迷っていた年があります。2002年、休業宣言をした後の年でした。秋に小島社長から電話がありました。『えりっぺ~、1月17日やるんやろ~。空けとくからな~。』って。あの電話がなかったら、『Kobe Meeting』は今まで続いていなかったかもしれません。本当にありがとうございます。」  「もう1曲、私がいろいろなものに感謝したいと思って創った曲です。『YOU ARE MINE』という曲ですが、『YOU』はこれまでに私が出逢った人、そして今日こうして来て下さった人たち。『MINE』はそれら全てが私の宝物という意味です。」  曲の間、何か時が止まったような錯覚を覚える。鳥肌が止まらない。このステージだからなのか、この距離感のせいなのか解らないが、久し振りの感覚だった。曲が終わり、愛理さんとバンドメンバーが揃ってのカーテンコールで、この日のライブは終わった。  リニューアル直後ということで、入口への階段には多数の花が飾られていた。その中に「Banana Hall」(大阪梅田にあるライブハウス)からの花があった。「Banana Hall」は、20年以上前から何度もライブを見に行った場所であり、何か感慨深い。  知り合いと少し話してから、打ち上げ組と別れて地下鉄の駅へ。GW最終日ということで、上りの新幹線は混んでおり、新神戸から名古屋まで1時間ほど立っていることになってしまった。かくして、余韻に浸ったのは帰宅後、例によって飲みながら寝る時間が遅くなってしまったのであった。 追記) このレポートを全部読むと愛理さんの年齢がわかってしまいますが、実際喋ったことなので。とりあえず、野暮な読み方はやめましょう。あれ? 何か1歳多くなってない?  4月に神戸でイベントライブがあるとの情報を聞いた。とは言うものの、金曜日ということで無理だろうと思い、しばらく何もしなかった。数日後、気まぐれでチケットを買ってしまった自分っていったい・・・。  当日、「今日は早めに帰るから」といっておいたのだが、職場(名古屋市某所)を出たのは18:00頃だった。これって“Kobe Meeting”のときと同じパターンになっている。(苦笑)  会場に着いたのは20:20頃。愛理さんのステージは終わっているだろうなあ、と思いつつ中に入る。チケットは2階席だが、曲の最中で入っていけず空いていた3階席へ。杉田二郎さんのステージの終わり近くだった。  その後、「せっかくですから」ということで、伊勢正三さんと愛理さんがステージに出てきて3人のセッションとなる。(このコーナーを想定して、遅刻でも会場に来たのである) ステージ中央にタンバリンを持った愛理さん、両側にギターを抱えた杉田、伊勢両氏。 杉田: 「平松さんとこうしてステージを一緒にするのは初めてでしたけど、リハのときから少しお話させて頂いて。今日は本当によかったですね。」 愛理:「こちらこそありがとうございます。今日はお二人のステージを袖で見させて頂いて、私もまだまだこれから、あの・・・(以下、少ししどろもどろ)」 杉田:「伊勢さんとはね、もう長い付き合いですね。」 伊勢:「うん。でも、・・・・・・お互い、・・・年とったよね。(笑)」  セッションは「戦争を知らない子供たち」から。私は、もともとフォーク系が好きだったので、このコーナーの楽しみは選曲でもある。どうしても、愛理さんのコーラスよりも唄に神経が行く。  続いて「なごり雪」。伊勢さんが唄う・・・と思ったら、最初の1コーラスは愛理さんです。しかも、両大御所のコーラス付きで。予想していなかったこともあって、鳥肌が・・・。その後は、気持ち良すぎてステージがあまり目に入っていない自分がいたりする。今日はこの1曲で満足です。(伊勢さんのファンにとっては・・・でしょうが)  アンコールでもう一曲、「あの素晴らしい愛をもう一度」。この曲には中学時代の想い出があって、その想い出ネタでO村T子さんのラジオ番組で採用になったことがある。ということで、・・・やっぱりステージが目に入っていない・・・。  今回のライブは大御所に挟まれる形となったが、言い換えれば「平松愛理」というアーティストが、ラジオ関西にとってそれだけの価値があると考えている、と私は思っている。愛理さんにとっても、新しい刺激になる1日だったのではないでしょうか。  ライブが終わってホールから出てくると、知り合いに数人会う。「あ、今日来てたんだ。」「最後だけ。」(相手、絶句) みたいな会話をしつつ、そのうち数人と飲みに行く。最後、神戸駅前でS氏と別れたのはAM1:00頃。(このとき、私よりも快調にグラスを空けていたS氏は記憶がなかったらしい)  もちろん、最初から見られたほうがよかったけれど、ライブが存在して、その場所に自分が行けることっていいなあ、と改めて思っていた。


BON

私にとってのKobe Meeting

15:50 職場(名古屋市某所)

 1~2月は翌年度の計画を作るため、例年忙しい時期である。昨年10月に転勤し、業務内容が変わった私にとっては尚更である。この日も、上司、部下には16:00前に帰ると予告していたのだが、いつ一段落つくかもわからない状態だった。この時点では、神戸に行くことをほとんど諦めていた。 17:00 タクシーにて

 それから1時間後、関係部署の方々の協力でなんとか一段落し、職場を飛び出して最寄り駅に向かっていた。この数分間は、ほとんど無意識で行動していたので、後から考えるとどのように見えていたのか不安ではある。 17:35 新幹線にて

 名古屋駅での接続が良すぎて切符を買う時間がぎりぎりになったが、なんとか間に合う。座ってから「Reborn」を取り出す。「南町から」を聴くためである。  この新幹線は、開演予定の18:30を過ぎた頃に新神戸駅に着く。予定通りに開演すれば見られない時間が長くなるが、大幅に遅れると帰りの心配がある。やっぱり予定通りがいいのかなぁ、などと余計なことを考える。 18:40 新神戸駅

 新神戸駅に定刻に着き、タクシーで会場に向かう。チキンジョージなら近いのになぁ、などとまた余計なことを考える。今は、とにかく渋滞がないことを祈るのみ。  ラジオで1.17に関連して耐震構造の話題をしている。車は順調に走り、六甲アイランドに入るあたりでテンションが上がりだす。それまでは時間が気になって、それどころではなかった。 19:10 会場着  タクシーに乗っていた時間は20分程だったが、着いた建物が違う。近くにいた人に場所を聞き会場に急ぐ。5~10分のロスタイム。  窓口で「空いている席に座ってください」と言われたが、遠目では空いていないように見えたので、結局立見にする。これでKobe Meeting 5回のうち、座ったのは1回である。(遅刻2回が含まれてはいるが)  実はライブ全般を通じて、記憶と印象があまり残っていない。後で考えると、遅刻しながらなんとか会場に辿り着き、唄っている愛理さんを見たときに、目的を達してしまったような錯覚をして気が抜けてしまったのだと思う。とにかく、そのくらい着くことに必死だったのである。(言い訳ともいう・・・かもしれない)  ステージには、この日用のTシャツを着た愛理さん&バンドメンバー。「1989年2月21日、この曲で平松愛理はデビューしました」という曲紹介で「青春のアルバム」、続けて「あの日の忘れ物」。Kobe Meetingという場面とこの選曲、時の流れ、時の長さを特に強く感じるように思える。(実際は「青春のアルバム」が4曲目)  ここでバンドメンバーの紹介。初めて関西在住のミュージシャンで構成したこと(以前のMCで、「このステージには関西出身者しか立てない」と言ったことはある)、リハを関西でしていたこと、譜面なしでステージをしていること(「平松の曲は1番と2番でコードが変わったりするので、譜面なしで演奏するのは難しい」と強調していた)などのエピソードを交えての紹介だった。  続いて、「温故知新」ならぬ「温故知神」(神戸の神)と命名したメドレー。神戸の風景をモチーフにした曲を、その場所をステージ後方のスクリーンに映しながら、唄っていくという内容である。メドレーとは言っても、それぞれ1コーラス以上唄うので、「平松史上最長の30分に亘るメドレー」になったとのこと。長時間なので、始める前に「トイレ行くなら今のうちですよ」と言ってMCを延ばす場面も。そのMCで、「新聞で神戸のいいところを紹介している連載がある」と言ったのは、30分の伏線か。  映されたものは、公園の池、学校(出身校?)の校庭、商店街、(アマチュア時代の?)バンドでの演奏シーン・・・。いわゆる観光地はなく、愛理さんの作品に身近な風景から生み出されたものが多いことを伺わせる。メドレー最後は、小さな踏切を背景にした「駅のない遮断機」。5年前、私が初めてKobe Meetingに行った翌日、某HPの情報を基に(おそらくこの近くであろう)踏切を見に行ったことがある。私が好きな曲であること、実際に近くまで行ったこと、メドレー最後ということで盛り上げるアレンジにしたこと、それらが重なって一気にテンションが上がる。(更に記憶が薄くなる-これも言い訳?)  メドレーの後は、「部屋とYシャツと私」から「素敵なルネッサンス」で終盤に入る。あれっ、もう終盤?と感じた。遅刻してきたことを差し引いても、時間の流れが速く感じていた。お決まりの手拍子から「マイ・セレナーデ」で盛り上げて、最後は「もう笑うしかない」。ステージ前方で、盛り上がろうよ~という感じで手で合図をしてAll Standing。  アンコールの拍手で愛理さん再登場。関係者として、バンドメンバー、ステージ演出スタッフ、神戸市長、会場およびメディア関係、事務所スタッフ、そして「今日、このKobe Meetingに参加してくれた皆さん」を紹介。そして、震災遺児のケア活動を行っている「レインボーハウス」へ目録が贈呈された。  母親から「6年間ご苦労様」という手紙が来たこと、6年前のカミングアウト後に初めて創った曲であることを紹介して、「YOU ARE MINE」。そして、もう一度の盛り上がりは定番の「最後の音符」。詞はKobe Meetingの趣旨とは違うけれど、送り手側と受け手側のこの舞台に対する想いが、この盛り上がりの定番曲に更なるエネルギーを与えたことは確かだと思う。  二度目のアンコール。「亡くなった人たちの想いを無駄にはしない」というメッセージを添えて「南町から」。唄いながらステージを降りて会場を一周する。この場面で、時の流れが緩やかになったような気がした。それは、1.17を単なる過去として風化させてはならないという愛理さんの想いだったのだろうか。 21:15 終演

 翌日も休めなかった私は、最終の新幹線で帰らなければならなかった。知り合いと顔を合わせることもなく、インタビューする人を探していたメディアを横目に帰りを急いだ。  多少時間の余裕はあったのだが、とりあえずタクシーで新神戸に向かう。運転手さんが、「もうあのときのことは忘れたいけど」と言いながら、通る場所のそのときの状況、あちこちが陥没する道路を自転車でなんとか移動したことを教えてくれた。 22:30 新大阪

 新神戸から最終の新幹線に乗る予定だったが、夕食を摂っていなかった(というかアルコールが欲しかった)ので、一旦新大阪で降りて買い出し。名古屋に着くまでの1時間弱だけ、一人での打ち上げ。  夜の車窓を見ながらふと思った。今日、こんな行動をする気力を持っていた自分と、こんな行動をする気にさせる平松愛理という存在があることが、すごく有難いことだと。 24:10 帰宅

曲目リスト Thanks to “Bon Crescent”

美し都~がんばろやWE LOVE KOBE

渚のエンブレム
2007神戸
青春のアルバム
あの日の忘れ物
「温故知神」
  アネモネ
  君にしとけばよかったなんて
  思い出の坂道
  蛍の光もう一度
  私を忘れて
  想い出のOLD NUMBER
  Good luck my friend
  蒼い芝生
  駅のない遮断機
部屋とYシャツと私
素敵なルネッサンス
マイ・セレナーデ
もう笑うしかない

アンコール

YOU ARE MINE
最後の音符
南町から


BON

2007/8/27南青山MANDARA

1.あなたのいた夏

 こんばんは、平松愛理です。今日は皆さんMANDARAまで足を運んで頂いてありがとうございます。・・・近いですねぇ。最近、ファンクラブのホームページでも海がよく出てくるので、勘のいい方は気づいたかもしれませんが、神戸に引っ越しました。今日は、平松逆輸入です(笑)。気付いてた? これが24時間のコンビニとかなくて、春には桜が満開っていう感じで。2、3年経ったら東京に戻るつもりなんですけどね。海まで歩いて10分、15分くらいかな。で、よく海岸をウォーキングしてます。1時間くらい海岸を歩いていると頭の中が整理されてきます。こういう生活をしていると、ここでわかめを取って暮らしてもいいかなぁ、とか思ったりもしましたが・・・。   ある日、電話が来ました。「また、ライブやらない? 俺達バックバンドだと思っていいからさ。」って。で、こうやってライブをやることになりました。でも、これって本当にアーティスト冥利に尽きますよね。今日は、「たまには有酸素ライブ」・・・え?「有酸素音楽」? ということで、なんと未発表曲が半分を占めます。カラオケに入っている曲はほとんどありません。(微妙な拍手) 何? このクレッシェンドの拍手は? 気遣い? とりあえず、拍手しておこうって。今日は、これまで私がプロフェッショナルとして持ってきたルールとかそういうものは全てなしでやります。気付きました? マイクスタンドが右から来てるってないことですよ。2部構成だし。ジャニーズみたく。でも、内容は違うから途中で帰らないでくださいね。とにかく、今日は音楽で皆さんに濃い酸素をお送りしたいと思います。では早速未発表曲です。 2.<未発表曲>悲しいジェラシ

ー  「Voice Colors」というカバーアルバムに参加させて頂きました。すばらしい女性アーティストが参加しているアルバムです。こういうときのレコーディングって、順番待ちになるのかなぁ、って思ってて、大貫妙子さんの後とかって、ねぇ(と言って、ギターに何かを求める) 大貫さんとはライブを一緒にやるという話もあって(拍手)、いえ、まだ何も決まってないので、拍手の無駄遣いはやめましょう。決まるまでとっておきましょう。   「Voice Colors」の中に、大江千里さんのファーストアルバムの曲をカバーしたものがあります。今日はぜひここで一緒に唄って頂こうって(と言って、ステージ中央を空ける)思ったんですけど・・・、今日はファンクラブでハワイに行っているそうです。誰かみたいですねぇ。 3.<カバー>天気図

 「Voice Colors」に、中島みゆきさんの曲があります。みゆきさんって、よく下北沢を歩いていますよね。セーターにジーンズとかで。結構目立つんですよ。一人で笑顔で下北歩いている人ってあんまりいないから。みゆきさんに、「今日一緒に」とは・・・・・言えませんでしたぁ。この曲は深いですね。人と人とが助けあって生きているっていうか。 4.<カバー>糸

 1曲ごとに喋りますねぇ(笑)。   今年、あれ? 何月だっけ。新しく曲をカバーさせて頂きました。下條アトムさんとステージをしまして、え?6月? 今、客席から「6」っていうサインが来ました(笑)。この曲は詞が作者不詳で、ずっと語り伝えられてきて、ある方が癌で亡くなられたときに、残された家族、親類にって曲を付けられたものです。え、このエピソード知ってた? こういう曲ってめずらしいですよね。 5.<カバー>千の風に乗って

 夜とかに、何かやりきれなくなったときとかに、池をみていたりします。水面に映っている月を見ていたりして。そんな中で創った曲です。 6.<未発表曲>ブルームーン
 次が1部最後の曲です。先日、阿久悠さんがお亡くなりになりました。阪神大震災のときに、神戸への想いということで、阿久さんが詞を書かれて、曲はどうしましょうかと聞かれたときに「平松さんにお願いします」と指名してくださって。うれしかったですね。私は自分で創った曲を唄っていますから、共作というのはこの1曲だけです。   阿久さんの功績って大きいと思います。フィンガー5、ピンクレディーから、演歌まで、素晴らしい曲をものすごく沢山残されてきました。今日はこの曲を明るく唄いたいと思います。ですので、皆さんでサビのところを一緒に唄ってほしいと思います。(以下、サビパートの練習コーナー) それでは、明るくいきたいと思います。 7.美し都~we love kobe

  曲の最後に、「阿久先生、安らかにお休みください。  みんなありがとう。」 2部 21:15-22:45

1.<未発表曲>(お別れの歌~愛してる)タイトル未

 阪神大震災の映像を見ていないという方はいないと思います。阪神高速が落ち、神戸の中心である三宮も崩れ果てて、リュックに運動靴でザッザッって感じで歩いていて。この1ヶ月くらい前に、クリスマスのときですけど、ツアーの中の特別編として、神戸でサンタの格好でライブをやりました。その会場も完全に崩れていました。その記憶を忘れないために、毎年神戸で1/17に「Kobe Meeting」というライブをしています。そのときの寄付を震災孤児の施設である「レインボーハウス」に渡しています。   「Kobe Meeting」のための「窓」という曲があります。神戸に引っ越して、以前に感じていたものから何か変わった気がします。街が変わったのか、自分の中の何かが変わったのかはわかりませんが、こうなるとこの曲にも手を入れないわけにはいかなくなりました。それで、タイトルを変えてリメイクしました。 2.<未発表曲>2007神戸<renew.窓>

 久しぶりにアルバムに入っている曲です(笑)。2000年に発売した「USABARA」というアルバムの曲ですけど、1回半くらいしか合わせていないんですよね。やることが決まったのが最後だったから。(この曲はキーボードとギターの2人だった) 本番でうまくいくといいですね。 3. 待ってもいいよ

 10代のときにバンコクに行って、そのときの音楽にすごく刺激されて。しばらく、その音を再現しようと思って家の中でいろいろやってました。それで、当時は多重録音が、テープですね、が最高と言われていました。デジタル録音なんてないから。で、一生懸命録音して、自信作ができたんですねぇ。20歳のときにそのデモテープを持ってレコード会社に行ったら、「なんだ、矢野顕子のパクリじゃない。最近多いんだよね」って。その頃、矢野顕子さんってほとんど聴いていなかったのに。で、今度はあるアレンジャーの方のところに持っていったら、「デビューさせよう」って。だから、この曲は売る人にとってはうけないけど、アーティスト側の方には気に入って頂ける曲です。   この曲は二度と唄わないでしょうから・・・、輪唱したいと思います。サビの「ピラフになりたい~」を延々と輪唱します。20分くらい続けたら、本当に有酸素運動になります。(以下、輪唱の練習パート) 最後は私が合図しますから。・・・いつ、どんな合図するか決めてないけど。(笑) 4.<未発表曲> ピラフになりたい

  20分も続けなかったから、ちょっと汗をかいたくらいだったかな。  5年前の12月、入院したときに、改めていろいろなことを考え直す機会がありました。そのときにベッドの上で創った曲です。家族、友人、音楽仲間、私のまわりの全てのものを「You」、それらは全て私の大事な宝物ということで「Mine」としました。   今日は、ベースの方がオリジナルの曲をリアレンジして、しかも自らベースをフルートに持ち替えて。普通、2つの楽器はできないですよね。ということで、新しいアレンジでお送りします。 5.YOU ARE MINE

 今日の最後は・・・未発表曲を2曲続けていきたいと思います。・・・ごめんねぇ(笑)。   一つは詞が過激すぎてボツになった曲です。ソフトなバージョンもあるんだけど、今日は敢えて過激なほうでいきます。  もう一曲は、東京に来て電車に乗っていて、グラッと揺れたときに阪急の梅田近くの感じを思い出したんですよ。いや、本当に似てたんだって。そのときに、乗っていた人の顔を見ていたら、それぞれいろいろな人生があるんだよねって思って。それでなぜか・・・ロックになっちゃいました。(笑) 6.<未発表曲>Send me a mail

7.<未発表曲>5番目の高架

アンコール

  ありがとー。それでは、今日一緒にステージを創ってくれたバンドメンバーを紹介したいと思います。 (この後、出逢った当時のエピソード付き、掛け合いありでバンドメンバーを一人ずつ紹介。いずれも20年来の付き合いであることがわかる。10年以上前にステージで無茶やって、後でスタッフに怒られたとか。続いて、ステージ関係、事務所のスタッフ、マネージャーの紹介。実際、このパートはかなり長かったのだが、あまりにも多すぎて、レポートライターの記憶が追いつきませんでした。)  それでは、アンコールです(笑)。ちょっとした、本当にちょっとしたゲストを呼んでいます。もしかしたら、いやたぶん、もう同じステージに立つことはないと思います。私の愛娘、清水初一音。  えーと、今日は何をやるんだっけ。ん、そのマイク。喋っていいんだよ。(カンペを見ながら曲紹介) はい、ちゃんとカンペを持ってましたねぇ。 A。 情熱大陸=アコーデォン演奏<ハイネちゃん>

  (曲が終わって、二人で抱擁&ハイタッチ) あ~、緊張した~。どっと疲れた~。  最後くらいは、ね。皆さんが知っているんじゃないかな、という曲にしたいと思います。私はギター二人の構成ってほとんどやったことがなくて、この曲もアレンジを変えたら「コンドルが飛んでゆく」みたいになってしまいました。(この日の構成はギター×2、ベース、ドラム、キーボード。実際、イントロとかはちょっと「コンドルは飛んでいく」に似ていた。) B。 部屋とYシャツと私

(「マイ・セレナーデ」のインスト


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2005/10/30 FM岡山 防災キャンペーン2005 ~明日のために今できること

愛理さんの出演時間: 14:45~15:30 (ステージは他のゲストの方のコーナーが終わって、愛理さんのライブのセッティング中) 補足: この日はタイトルの通り防災ということで、番組を通じて地震の話がメインであった。 アナウンサー 「公開録音ですので、皆様の拍手が大事です。 これまでの1.5倍くらいの拍手で盛り上げてください。(と言ってステージを見る。)」 ディレクター (風が強く、譜面の固定とかに手間取っているため、「もう少し延ばして」のサイン) アナウンサー 「平松さんは神戸の出身ですが、大震災のあった1月17日に毎年神戸でライブをされています。 (それから少しつないでステージの準備完了) それでは1.5倍の拍手、2倍でもいいですけど、お願いします。」  「こんにちは、平松愛理です。お待たせしました~。風が強いですね~。 えー1曲目ですけど、ロッテリアのテーマソングになっている曲を聴いて頂くんですが、 千葉ロッテが優勝したので今ならエビバーガーが半額です。 ファーストフード行くならロッテリアへ。ということで『青い芝生』です。」 「1時くらいにリハをしたんですけど、日が照ってて暖かくて、 本番のときはもっと暖かいに違いない、と思って薄着にしました。けど、ちょっと寒いですね。」  「今日、新幹線でCD聴きながら岡山に来たんですけど…、遠いですね~。 寝ても起きてもまだ着かない。で、岡山駅に着いて新幹線からプラットホームに降りたら 、おばちゃんが来て、『あー、この人踏んでもうたー。』って。 何かお餅みたいなものを踏んでしまったのが第一歩でした。 それから歩くときも気にしながら来まして、違うブーツに履き替えました。」 「今日は初めて一緒に演奏するギターの方です。 何かさっき知り合いの人を見つけたみたいで、手を振ってましたけどね。 それでは、次に『部屋とYシャツと私』聴いてください。」  「95年1月17日に大震災がありまして、私の実家は全壊しました。 それから毎年1月17日に神戸でチャリティーライブをしています。 売上は東灘区にあるレインボーハウスというところに寄付しています。 毎年こうやってライブをやって、多くの人に実際に神戸に来て頂くことが 神戸の直接の復興につながると思っています。今日は追悼の意を込めまして、 この曲を唄いたいと思います。『美し都 がんばろやWe Love Kobe』。」  「次が最後の曲になりますが、この曲は私が人生の分岐点に立った時期に創ったものです。 生まれてから今までの全ての出来事や出会った人達が私にとっての宝物だと思っています。 出来事や人々を合わせて『YOU』、それらが私の宝物ということで『YOU ARE MINE』という曲です。 その分岐点に立った日から、命の尊さを強く感じるようになり、 目に写る全てのものの見方が変わってきました。そうして、多くの降り積もる言葉が出てきたことに気付きました。 それをこの『しあわせになろうよ』、えーPHP出版、という本にしました。 その中から一つ読ませて頂いて、最後の曲をお届けしたいと思います。 『気づいたこと』という詩と、『YOU ARE MINE』という曲です。」 (曲が終わってから、ちょっと高さのある丸椅子2つがキーボードの前にセットされ、 愛理さんと局アナ(女性)の方のトークコーナー) アナウンサー(以下A): 「素敵なライブ、ありがとうございました。」 愛理さん(以下E): (喋ろうとしたら椅子がちょっと回って、アナウンサーの腕にしがみつく。) A: 「『美し都』が好きなんですけど、この曲って時代によって意味が変わる曲だなって。 あれから戻ったものもあるし、戻らないものもあって、深いなぁって。」
E: 「この曲は淡路島出身の阿久悠さんから、一緒に創らないかと言って頂いた作品で、 こんな大先生とということで嬉しかったですね。」
A: 「平松さんは神戸のご出身ですけど、95年の地震があったときはどこにいらしたんですか。」
E: 「あのときはコンサートツアーの最中で、東北にいました。」
A: 「家とか、ご家族とかは。」
E: 「家は全壊しましたけど、両親は無事でした。」
A: 「友達とかも心配だったんじゃないですか。」
E: 「ずっと電話をしてもつながらなかったですね。」
(この後、被災地では情報が入らないという話題。05/1/15イベントと同じ内容のため省略します)
A: 「地震に対する心構えはお持ちですか。」
E: 「いつでも防災グッズは手の届くところに置くようにしています。 それから、友人から聞いたんですが、いわゆる防災グッズに含まれないもので、 スリッパとカーディガンというのを聞きました。あのときは早朝だったので寒かったけど、まだ揺れているんで戻れないって。」
A: 「ガラスとかも飛び散っていましたし。」
E: 「多くの人は寝ている時間だったので裸足ですし、戻っても歩けないんでスリッパは必要と。」
A: 「今年、『神戸大使』に委嘱されたそうですが、1月17日の神戸のライブは毎年されているんですか。」
E: 「はい。私のライフワークだと思っています。」
A: 「ライフワークということは、もちろん来年も。」
E: 「はい。ぜひとも足を運んで頂きたいと思います。神戸って本当にいい街ですから。」
A: 「岡山から神戸って、結構近いですしね。」
E: 「新幹線で新神戸を乗り過ごすと岡山ですからね。」
A: 「この『しあわせになろうよ』ですけど、いい本ですよね。幸せの価値基準って、心の持ちようなんだって。」
E: 「ありがとうございます。幸せになりたいっていつも思ってます、 というか心の中で叫んでますけど、それよりも自分の不幸を嘆いている時期があったんですね。 それよりも幸せを探す行為が大事なんだって。そうすると感じ方が変わってくるんですよね。」
A: 「ありふれた日常でもすごいことだなって。」
E: 「本当にそうですよ~。」
A: 「この出版記念ライブがあるということですが、これは1回限りで。」
E: 「ええ、東京になるんですけど、スペシャルライブをやります。」
A: 「11月15日、東京渋谷の『duo Music Exchange』でこのスペシャルライブが行われますので、 時間のある方は行って頂きたいと思います。
今日は平松愛理さんをゲストに迎えてお送りしました。平松さん、ありがとうございました。」
E: 「ありがとうございました~。(椅子から降りようとして、小声で)この椅子回りますねぇ。」

まめ’s Memo
 今回の番組の主旨が防災、特に地震対策ということ、そのため「美し都」を唄ったこともあってか、 ステージ上での愛理さんの雰囲気が、いつものイベントとは少し違うように感じました。 屋外で少し肌寒いくらいでしたが、繁華街ということもあって、 椅子席の50人に加えて多くの立見の方がありました。 サイン色紙付のCD&本売場では、終了後20人くらいの列があったでしょうか。  ところで、この季節の屋外イベント、いかにもビル風が吹きそうな場所で、フレアースカートは…(もごもご)。


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2005/10/1  松阪市 飯南産業文化センター

開演 19:40

1. あの日の忘れ物
2. 貝殻の破片

 「初めまして、平松愛理です。昨日こちらに来たんですけど、11時くらいに。お店 が開いてなくって。閉まるの早いんですね。仕方ないので、コンビニに行きました。 お稲荷さん買って、それからコスメのコーナーに行ったら、後ろにこの本(と言って 『しあわせになろうよ』を出す)がありました。ちゃんと宣伝文とかあるところに置 いてありました。3冊置けるようになっているんですけど…、3冊ありました。で、自 分で1冊買いました。せっかくですから、今日はこの中からいくつか紹介しながらや りたいと思います。それでは、最後までゆっくりと楽しんでいってください。」

3. あなたのいた夏

 「今日、駅からこの会場に来たんですけど…、遠いですねぇ。(笑) どこまでい くの~、って感じで乗ってたら川が見えてきて。これ、お客さん本当に来るのか なぁ、って思ったんですけど、こんなにたくさんの方が来てくださって、本当にあり がとうございます。皆さん、近くの方なんですかね~。松阪市内の方ってどれくらい います?(そこそこの拍手) じゃ、県外の方は?(パラパラの拍手) 本当にどう もありがとうございます。」  「今日は一番前にお子さんを連れている方がいますけど、私も8歳になる娘がいま して。もう、空気とか、水とかのような、いることが当然という存在なんですけど、 時々すごくいとおしくなるんですよね。次の曲はその娘が作詞したものに、私が追加 して創った曲です。」

4. 夢について~ハイネの日記(オルゴール付)

「私は16歳、ん、15歳か。プロになりたいという夢を持っていました。その頃は夢を 叶えるために頑張っていたんですけど、それから時間がたって、夢を実現することの 難しさを感じるようになりました。なんで自分だけこんなことになるんだろう、と か。幸せを探しているはずだったのに、自分の不幸を嘆いていたんですね。そんなと きに創った曲を聴いてください。」

5. 幸せの白いTシャツ

バンド紹介(この日はギター、ベース、キーボード、ドラムの構成)で、キーボード の人が腰に手を当ててスキップしながら登場。会場笑い。
愛理さん 「なにか一言どうぞ。」
KB 「肉!」
愛理さん 「さすが関西人、2度つかむねぇ。」
続いて、ベースの方のとき。
愛理さん 「メールの返信が早いですよね。この前も今日の演奏のことでメールを出 したらすぐに返事が来て。」
B (無言でうなづく)
愛理さん 「ですから、みんなでメールを出してみましょう~。」
B 「こんな沢山のひとからメール来たらどうするの。」
愛理さん 「こういう方に支えられて、今日このコンサートをお送りしています。」

6. 待ってもいいよ
 「この前、家で昼寝をしていたとき、着メロで私の曲が聞こえてきまして。自分の 家でですよ。誰か近くの方が着メロに入れてくださっていたんですね。…はい、自慢 です。」

7. 部屋とYシャツと私
8. あなたに出逢えてよかった
 「これから、とととっとアップテンポの曲を行きます。最初の曲はロッテリアの テーマ曲なんですけど。1時間に1回流れてます。ファーストフード行くならロッテリ アで。はい。原宿で一日店長もやりましたけど、きつかったですねぇ。それからプロ モビデオも撮りました。どこかの本屋さんで流れているらしいんですけど。見つけた らぜひ最後まで見てください。布を持った私がどうやって1曲もたせるか。」

9. 蒼い芝生
10. 月のランプ
 (イントロに乗せて)「次が最後の曲です。今日はありがとうございました。」

11. 素敵なルネッサンス

イントロでステージの前のほうに来て、「盛り上がろうよ」という感じで立つように 手を動かす。パラパラと立ち始め、曲が始まる頃にはほぼ総立ちになる。曲が終わり 愛理さんが袖に下がると、すぐにアンコールの手拍子。

 (アンコール)「ありがと~。今日は本当に来てよかったです。初めて逢う方、何 度か逢っている方、いらっしゃいますけど、こういう全ての瞬間が私にとっての宝物 です。」

Encore YOU ARE MINE

 (もう一度バンド紹介をして)「Vocalは平松愛理でした。またお逢いできる日ま で、お元気で~。」

終演 21:10


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平松愛理トーク&ライブ ~小さなしあわせを探して

1. あなたのいた夏
2. 幸せの白いTシャツ
3. 夢について ~ハイネの日記
4. YOU ARE MINE
5. 部屋とYシャツと私2004
6. 素敵なルネッサンス

進行(HBC女性アナウンサー、以下A):それでは大きな拍手でお迎えください。平松愛理さんです。
愛理さん(以下E):あのー、いきなりなんですけど、コンタクトにゴミが入りまして…。 ティッシュか何かありません?(ティッシュと鏡が出てくる。しばらくして) アナウンサーさーん。

A:(慌てて出てくる)はい?

E:コンタクトにゴミが入っちゃったんですけど、一旦下がっていいですか?

A:それで、さっき袖でざわざわしてたんですか。

E:そうなんですよー。

A:こうやって喋ってるうちに何とかなりませんか?

E:私もそう思ってるんですけど…。あ、大丈夫かな?

A:じゃ、よろしくお願いします。(と言って袖に下がる)

E:えーと(アナウンサーに話し掛けようとするがすでにいない) あれ? 改めまして、こんばんは平松愛理です。(昼だがそう言った) 昨日こちらに来たんですけど、 やっぱり寒かったですねー。前の日は18cmも雪が降ったそうで。かと思えば 今日はプールで泳いでますし。(ホテルの外に温水プールがある)  おー北海道恐るべし、と思ったら温水プールなんですね。 でも、北海道には温水プールって必要ですよね。今日は近くの方が多いんですかね。 北海道から来た人。(当たり前でしょ、という感じでほとんどの人が拍手)  北海道って広いですからねー。  それでは早速1曲目ですが、この曲は叶わないとわかってるんだけど、 相手の人を想い続けているという前向きな失恋の唄です。「あなたのいた夏」。

 次の曲は、今の自分の思いを一番表している曲です。みなさん、 自分に問い掛けてみてください。幸せと不幸せの境界線ってどこにあるんでしょうか。 (少し間を置く) 私はわかったような気がするんですね、 幸せになりたいと思えることが幸せなんだって。 以前から曲を創って唄ってて、プロになりたいと思ってた。 プロになりたい、幸せになりたい、そう思ってたから自分も明日も信じることができた。 それが、いつからか幸せになりたいと思うよりも、自分の不幸を嘆いていたんですね。 健康じゃないとか、いろいろなことを思って。 そういうことが少しわかった今の私が創った曲です。「幸せの白いTシャツ」。

今日もお子さんの声が聞こえたりしますけど、私の娘が2月で9歳になります。 子供っていろんなことを教えてくれたりします。 先日部屋を掃除していたときに娘の作文が出てきまして、 夢について書いてあったんですけど、すっごくよかったんですよ。 それで…もらっちゃいました。それだけってわけにはいかないので、 サビのところは私が創って、いいんだけど詞がついてなかったメロディーを付けました。 作詞が娘のハイネと私平松愛理、曲も私、編曲と演奏が主人、 ということで家庭内栽培、無農薬!  ちょうどこの作文を見つけたときが私が落ち込んでいるときで、 本当に元気付けられました。それでは聴いてください。 「夢について ~ハイネの日記」。

 2001年の12月だったかな、あれ2000年、ん? 年ですかねー、 最近物忘れがひどくなって。(笑) 2001年12月に手術のために入院しました。 毎年1月17日に阪神大震災の支援ライブを神戸でやってるんですけど、 そのときに発表するために、ベッドの上で書いた曲です。 これまで生きてきた中で、いろんな人に感謝しなくちゃいけないな、って思います。 両親、娘、主人、それから恩師、友人…、そしてこれまでに出逢った人たち。 今日、こうやって来てくださって、私の目に映るみなさん一人一人が、 私の宝物になりました。「YOU ARE MINE」という曲なんですけど、 「YOU」はそうした全ての人たち、そして「MINE」は私の宝物という意味です。 この曲は人生の節目、卒業、就職、脱サラ(笑)、転職…。 そういったときに伝えていってほしいと思っている曲です。 この前、奥菜恵さんが六本木で「部屋とYシャツと私」を熱唱していたという 情報がメールで入りました。奥菜さんって、 確か結婚式でもこの曲を唄ってくださったんですよね。 旦那さんがさだまさしさんの「関白宣言」で。 そうやって今でも唄ってくださるってありがたいと思います。 結婚してから大分たってしまった方は、 新婚当時の初々しい気持ちを思い出して、 これからのカップルの方には結婚への夢をふくらませて聴いてください。 「部屋とYシャツと私2004」。

 次が最後の曲になりましたけど、今日はどうもありがとうございました。 いつかどこかでまたお会いしたいと思っています。 そのときまでに、小さいことでもいいから何かできるようになったとか、 新しいことを始めたとか、私を含めてですけど、 そうなっているといいなあって思います。 これを私は「ルネッサンス」と呼んでいます。 それでは手拍子してもらっちったりしましょうか。 (手拍子を始める) これで手拍子が速すぎてキーボード弾くのがしんどくなったりするので…、(鼻歌ぎみにリズムを取る) よし、バッチリ。「素敵なルネッサンス」。

A:平松愛理さんでした。ありがとうございました。 …私も結婚してから10年になるんですけど、 そう言えば最近冷たいかなと。 今日は帰ったら旦那に少し優しくしてみようかと思います。 ところで、今日CDを販売しているんですよね。

E:はい。「秋の虹」っていうんですけど、 1曲ごとにイメージフォトが入ってて、そのときの気分次第で ジャケットを変えられるようになっています。 さっき唄った「夢について ~ハイネの日記」には、 証拠として娘の作文の一部が写真で載っていますので見てください。 DVDも付いていますので。

A:え、CDじゃないんですか。あ、両方あるんですね。
E:今日はこのアルバムからも唄いましたけど…、あ、全部この中に入ってる。
A:じゃ、今日の記念にもいいですね。みなさん、ぜひお買い求めください。
E:よろしくお願いします。
A:それから本もあるようですが。
E:これは、元気になるための心のレシピとかが書いてあります。 一時、落ち込んでたというかひきこもり状態になってまして、 そういうときにちょっと元気になれる本です。

(その後に抽選会があり、目玉のロイヤルスイート 宿泊券の抽選のとき)

A:平松さんは、昨日このロイヤルスイートに泊まられたんですよね。
E:すっごく広くて、どうしていいかわからないから、 隅でじっとしてました。
A:一人だったんですか。
E:はい。(少しの間) お風呂にテレビがあるんですよー。
A:お風呂とテレビは普通でしょ。
E:じゃなくて、お風呂にテレビ。 それからお風呂の中にライトが点くんですよー。
A:で、点けたんですか。
E:はい。(少しの間) あ、カップルとかだったら ロマンチックかもしんない。
A:でも、なんでライトが点くんですか。
E:さあ。(しばらくの間) いや、本当にいいですよー。一生に一度は泊まっておくべき!

A:では私が引くのは怖いので、平松さん引いてください。


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2005/3/27 FM愛媛公開録音

場所  松山全日空ホテル 南館4F エメラルドルーム 
時間  14:05~15:05

曲目リスト
1. 素敵なルネッサンス
2. あなたのいた夏
3. 夢について ~ハイネの日記 (オルゴール付)
4. 幸せの白いTシャツ
5. YOU ARE MINE
6. 部屋とYシャツと私2004
7. Single is Best ?!
FM愛媛の公開録音に行ってきました。

会場が全日空ホテル、客席の7~8割が女性ということで、 始まる前からいつもとは少し違った雰囲気がありました。

愛理さんのライブはちょうど1時間。 「秋の虹」からの曲の前では、 いつも以上に丁寧に曲の説明をしていました。 終わりのほうでは、ミニライブというより コンサートのような緊張感があったように感じました。

そのためか、終演後のCD売場では人が多くて 少し待たないと買えない状態でしたし、 会場を出てからも、「感動した」という声をいくつか聞きました。 本当に行ってよかったと思っています。

追記)
ライブ、リハーサルとも衣装が先週と同じと思ったのは ・・・気のせいでしょうか。 (リハから出てきたところを見たので、念のため)


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2005.3.20 三重県、公開録音イベント

1.あなたのいた夏
2.夢について~ハイネの日記
3.YOU ARE MINE
4.部屋とYシャツと私

アナウンサー(以下A):(演歌歌手とのジョイントだったため)今日は和食と洋食と言いますか、 異色の取り合わせとなっていますが…。(と言いながら、マイクが1本しかなかったため、 もう1本ないのという感じでスタッフを見る) 今日の衣装は何系って言うんですか?  私はファッション音痴なんで、ご自身から言って頂けませんか。

愛理さん(以下E):えーと、今日はスプリングコンサートということで、 春の色を部屋から集めてきました。

A:集めてきたんですかぁ。(もう少し具体的に説明してくれると思ったんだけど、という感じ)  ところで、平松さんというと中日新聞で連載をされてましたよね。

E:「子育て日記」という。
A:残念ながら連載は終わってしまいましたけど。お子さんが9歳でしたっけ。
E:ええ。2月20日で9歳になりました。ハイネっていうんですけど、 私にとって勉強になることとか、予想もしないようなことを言うんですよね。 例えば家が建っていくときに、土地から生えてくると思ってるんですよね。 だから、その場所を通ると、「大きくなっておめでとう!」とか言ったりして。 私達の固定観念とは違うんですよね。
A:私も娘がいるんですけど、「キモい」扱いですからねぇ。 女同士だとやっぱり違うんですかねぇ。
E:えっ、どんなところがキモいんですか。
A:こうやって(キスをするように)唇近づけたりすると…。
E:うっ、キモいかもしんない。(笑い) いや、私でもちょっと引くかな、と。
A:(絶句。フォローしてくれないの、という感じ) やっぱり女同士の連帯感みたいなものってあるんですか。
E:洋服チェックとか厳しいですね。それから、家で唄の練習をしていると、 「もっと感情込めて!」とか言われたりして。 それから、昨年国歌斉唱をしたんですけど、ヤクルト戦で。 その練習しているときも、「最初は抑えて、だんだん感情込めていかないといけない」 とか言って。私の前で、こうやって片膝ついて、 唄ってるときにこうやってる(手で花を作って、だんだん花が開いていく感じ)
A:音楽活動の上で、お子さんの影響とかあったりするんですか。
E:もう、それが全てと言ってもいいくらいですね。
当たり前と思える日常に感謝しなくちゃいけないと、いつも感じてます。
A:今日唄われる「夢について」という曲はご家族で作られた唄と聞きましたが。
E:ハイネの書いた詞が、学校の原稿用紙だったので提出したものなんでしょうね。 それがよかったんで、もらっちゃいました。サビのところは私が創って、 メロディーだけだったものに合わせまして。 アレンジを主人がしましたので、3人で創った無農薬の有機栽培です。
A:それではキーボードの準備をして頂きましょう。(愛理さんマイクの位置合わせ等を始める)  平松さんは19××年生まれで…。
E:(準備をしていた手が止まり、アナウンサーを睨んで)年言うんですか。
A:(あっ、やばいという雰囲気)
E:これで唄がダメになるかもしんないなぁ。
A:(あわてて)私、最低ですね。えー、198×年生まれでしたっけ。
E:199×年、ってそれは無理ですね。(少しの間) あー、何かすっごくやる気出てきた。
A:(愛理さんの紹介を再開する。途中まで略) 
今日、九州で震度6の地震があったということで、こういうときの情報は遅れて入りますから、 悪い情報が入らなければいいと思いますけど。先程も言いました通り、 平松さんは神戸市の出身でして、阪神大震災以降、支援ライブを続けています。 それが認められまして、昨年ベトナムへ日本代表として、ご家族で行かれたんですよね。 いろいろな経験をされたと思います。(準備ができたことを確認して)  それでは平松愛理さんです。 それでは最初に「あなたといた夏」、聴いてください。

 ハウジングセンターで唄うのは初めてなんですけど。 今日、名古屋から四日市まで来るときに電車に乗ったらおしぼりが出て、 四日市からタクシーで来たんです。そしたら、タクシーの運転手さんに、 研修生と思われたようで、「おっちゃんはなぁ、昔不動産やっててなぁ。 いいか、売るときにはなぁ、押したらダメでも引いたらあかん。 ダメでも押すんや。」とか言われて。はぁ、みたいな。  さっきから虫がいるんですけど、これ何とかならないですか。 殺虫剤かなんかあったらいいんですけど。(と言っても殺虫剤は出てこない)  先程も言いましたけど、次に唄う曲は家族3人で創った曲です。 ハイネが創った詞に、私が母親の気持ちを付け加えまして、 主人がアレンジした曲です。今日は、こうやって右のほう、 高音部ですね、を弾いているところがハイネの詞、左のほう、 低音部ですね、を弾いているところが私の詞、 というふうにしてみたいと思います。それでは、「夢について ~ハイネの日記~」。 やっぱりこの虫って、唄が聴きたいんですね。いいところになると寄ってくるから。(笑い)  家を買うって、夢を買うっていうところがあると思うんですよね。 私もこういうところに来たことがあって。 全然買うつもりがなかったわけではないんですけど、 何か見ているだけで幸せな気持ちになれると言うか…。 こういう(家を売るという)仕事って、素敵な仕事だと思います。  私は神戸の出身なんですけど、昨日東京に両親が来まして。 もちろん、私も年をとっているんですけど、父親も年をとったなぁという感じで、 なかなか東京に来ることもないので、久し振りに…と思ったら、 私は今日四日市に来ていまして。昨日はお寿司を食べに行きましたけど。 私はこうやって音楽活動をしている中で、ありがとうの気持ちを忘れてはいけないなぁ、 と思うことがありました。父親に対して、母親に対して、 娘に対して、主人に対して、恩師に対して、友達に対して、 そして今日こうやって初めて会える皆さんに対して、 ありがとうの気持ちを忘れてはいけない、と思う出来事があったんです。 今日皆さんに会えたことで、私の宝物がまた一つ増えました。 この曲は人生の節目節目で、伝えていってほしいと思っている曲です。 「YOU ARE MINE」。

次が最後の曲ですけど。こうして見ていますと新婚時代ってずーっと前のこと、という感じの方々もいらっしゃるみたいですけど、新婚時代ってこんな感じなぁ、っていうのを思い出しながら聴いて頂きたいと思います。「部屋とYシャツと私2004」。

A:平松愛理さんでした。もう一度大きな拍手を。(拍手) 同世代の方もいらっしゃるみたいで、共感された方もいると思います。先程から、もうすぐ夫婦になるんでしょうか、 手を握り合っている方がいるんですよね。これで家が売れるかもしれません。 (会場がハウジングセンターということで、この日はところどころに宣伝が入っていた)
-終-


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第3部 シンポジウム「大震災と医療」より

コーディネーター(神戸市医師会長): 震災のとき平松さんは東京にいらしたそうですが、情報という点ではどうだったでしょう。 愛理さん: テレビではずっと○○区の商店街の映像が繰り返し流れていて、私の実家のある須磨区の隣ですから、どうなったんだろうって。それからスタッフとか総出で電話をかけたんですけど、つながったのが12時間後でした。まず第1声が「なんで、あんた知ってるん?」 現場には情報がないんですね。というか、地震であったこともわからなかったくらいだったみたいです。(基調講演で、放送局が爆撃されたのかと思った、というコメントあり) それからうちの兄はそのときアメリカにいたんですけど、CNNのニュースで見て、国際電話のほうがつながり易かったみたいで、私より先にかかったんですけど、そのときも「なんで、外国にいるあんたが知ってるん?」 という感じだったそうです。私の実家の診療所は全壊したんですけど、お隣が瓶屋さんなんですけど、その瓶を全部どけさせて、2日後にはそこで仮診療所を開いていました。  あのー、このランプ(各シンポジストの前に小さいランプがある)が付くまでは喋っていい、とさっき言われましたので喋ります。もう喋る機会がないかもしれないので。(開場:笑い) 震災があってから、音楽をしている者として何かできることはないだろうかって考えていたときに、電話がありまして。移動中か何かに携帯に電話が来たんですけど。淡路島出身の阿久悠先生と共同で曲を作らないかという話でした。えっ、私みたいのでいいの、って思いましたけど、売上金はすべてチャリティーにするというお話を聞いて、ぜひやらせてくださいということで。本当に、やるべきこととやりたいことが一致したという感じでした。  (時間切れの合図であるランプが点灯する) あの、もう終わりにしろということですけど、もう一つだけ喋らせてください。(開場:笑い)  私は毎年1月17日に神戸でライブをしています。なぜ神戸でやるかと言いますと、全国の人に神戸という街を知ってもらって、いいところだよって広めてほしいと思うからです。海の幸、山の幸、100万ドルの夜景、あ、それからワインもおいしいし。市長さん、先日は神戸ワインをありがとうございました。それも2本も。(シンポジストの一人として愛理さんの右隣にいた市長:苦笑) いいところがいっぱいあるから、それをみんなに知ってもらって、神戸に来てほしいって思っています。それから、メンタル面に関することで…

コーディネーター: あ、メンタル面の話は後で取り上げますので、一旦このへんで…。

愛理さん: あ、もういいってことですね。

コーディネーター: (困った様子で)いえ、そういうわけじゃなくて…。

愛理さん: (本当に慌てて)冗談、冗談ですよー。

コーディネーター: 平松さんは音楽の仕事をされていますが、「音楽療法」というのもあるくらいで、メンタル面では音楽も重要な要素だと思います。平松さんがいろいろとボランティア活動をされていることは、存じ上げているところですけど、活動に対する手応えはいかがでしょうか。

愛理さん: 最初の2,3年は好意的でした。ただ、先程慶山さん(シンポジストの一人、神戸新聞社論説委員)も言われましたように、記事とかもほとんどなくなって。「1月17日は神戸帰るわー。」って言っても、「えっ、法事?」って言われるくらいで。東京ではもう風化していまったんですね。  その頃、12月か1月に関西のラジオにゲストで出たときに、「震災のことには触れないでください」って言われて。震災のことに触れないで、どうやってこのライブの意味を伝えたらいいの、って。それでも1月17日にライブをやることだけでも伝えられたらいいと思って…。

道上さん(シンポジウムの前に基調講演を実施、朝日放送パーソナリティー): それ、どこの局や!

愛理さん: 本当なんですよ。

道上さん: 12月、1月に震災の話をするなって、何を考えとるんじゃ!

愛理さん: 「震災の話をすると暗くなるから、やめてくれ」って。

道上さん: そんな局になんか出るな! そんな局出るな!

愛理さん: じゃ、呼んでくださいよー。 ただ、忘れたい人もいるわけで、そういう人にとってどうかっていうことは悩みました。音楽をやっている友人からも、「もうええやん。忘れたいんやて。」とか言われましたし。でも、この震災のことを忘れられたら困る人がいると思うから、信じてるから。おととしの1月に新聞労組のシンポジウムで(Kobe Meetingの翌週に開催、私も参加しました)、地元が伝えなかったら誰が伝えるのか、って言ってしまってすみませんでした。(この直前に、京都新聞社の協力を得て震災の当日の夕刊を発行したとこと、紙面は不規則になりながらも休刊はしなかったこと、の話があった) 私が唄える限り、やり続けていくこと、伝え続けていくことが私の使命だと思っています。  毎年1月17日にやっているライブ、「Kobe Meeting」っていうんですけど、全部私がやっているんですけど、カッコ悪いことですが、赤字のときもありました。今だから言えることですけど。今は黒字になって寄付とかも普通にできるようになりました。(ここから声が大きくなる)「石の上にも3年」って言いますけど、そんなの嘘です。ここに来るまで9年かかりました。9年かかって、ようやく支援体制ができました。(大拍手)

第4部 ミニコンサート より

司会: (ステージはキーボードのセッティング中) 第4部は平松愛理さんのミニコンサートです。ここで簡単に平松さんの経歴を紹介します。(中略) 準備はできたでしょうか。先程は少し喋り足りなかったかもしれませんので、早速始めて頂きましょう。平松愛理さんのステージです。

 改めまして平松愛理です。(拍手) 今日は、「震災と医療」をテーマにしたシンポジウムですけど、このようなシンポジウムに参加する機会を与えてくださってありがとうございます。もちろん、医療は重要だし、最初に行われる、施されるべきものですけど、音楽は第2の処方箋だと思います。皆さんも辛いときがあったら、好きな唄を口ずさんでみてください。少し元気になれるはずです。  今日、いつもと違うのは、5列目の真ん中に両親と親戚が来ていることです。(周囲の人が5列目中央あたりを見る) やっぱり親がいるというのは緊張します。それでは、まず「部屋とYシャツと私」を聴いてください。

 ちなみに、この曲ご存知だった方いらっしゃいます?(まばらな拍手) ありがとうございます。  次の曲は、先程も少し言いましたけど、阿久悠先生と作った作品で、売上金は全てチャリティーにするということで作らせて頂いた曲です。もし知っている人がいましたら、最後のところを一緒に唄ってください。「美し都 がんばろやWe love Kobe」。 予定ではこれで終わりなんですけど(パンフレットにもこの2曲の歌詞が載っていた)、もうここまで押したら少しくらい遅くなっても一緒だということで(この時点で終了予定時間を30分以上オーバーしていた)、もう1曲聴いて頂くというのはいかがなもんでしょうか。(そこそこの拍手)  さっきのシンポジウムでもいろいろな意見とかあったけど(大事なのはコミュニケーションと人の輪だ、という話もあった)、私はこんなふうに考えています。人の想いはみんなにあって、だから他人のことを思いやれる。そして、人の想いはいつまでも生きているって。それでは聴いてください。「YOU ARE MINE」。

 (曲が終わって) あさって17日にチキンジョージでライブをやりますので、ぜひ見に来てくださいね。17日、見に来てくださいねー。

司会: 平松愛理さんのステージでした。もう一度大きな拍手を。(拍手) やっぱり、喋り足りなかったみたいですね。


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