マイ・エピソード

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平松愛理

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平松愛理

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16。ピラフになりたい

ここはマイエピソードということですが、まず語っておきたいことがある。平松さんのピラフになりたい。 昔、ある方にプロになる前のこの音源を共有してもらった。つまりこれはデビュー前の作品だ。私がこの曲を頻繁にきいたのは、2008年と2021年だ。私がイメージするに、なにか平松さんが原点に戻るときである。 2007年一回、神戸に戻って再チャレンジした2008年、 コロナで思うように活動できなかった、2020年の、再チャレンジの2021年。これは意味が深い曲だと思ってる。一方、私の2008年はクレセントという音楽会社を 立ち上げた年、結婚した年、2021年はシャインコンテンツを本格的にさせた年 私も新しい出来事、チャレンジを意味してる曲。クラファン企画をはじめてきいたとき迷わず参加するとなった。この曲は平松さんは 再起の曲、私にとっては、 チャレンジの曲なのだ。

15、大切な人

ファンを長くやるということ、それはイコール、アーティストも自分も 年齢を重ねていくこと。今まで全く気にしなかった事柄も、 この年になって実感は湧くものである。自分が20代の頃は、親はすごく元気で、 いて当然なことだと思っていたし、 大きな病気もそれほどなかったので 気にもとめていなかった。自分は、 彼女欲しいという気持ちと、夢に対して貪欲だった。 大切な人、を初めてきいた2019年の9月。多分、今、 自分が20代だったら、この曲に感動はしても、心まで染みることはなかっただろう。 しかしながら、2019年、私は45歳、親も70代後半になった。親は年をとった。介護と いう言葉もちらつきはじめた。 平松さんも50代、介護の時期。 親はいつまでも若くはない。そんな 中、この曲を聞く。この曲を聞く前にあらかじめ、平松さんライブMC のエピソードを聞いていたからかも しれないが、かなり心に刺さった。 全盛期で強かった父が、今はもう、 身体がおぼつかない。弱っていく 父の姿と、平松さんの歌がリンクする。そして平松さんが歌っている間 その背後にはあたかも、平松さんと 平松さんのお父さんが、スクリーン上で動いているかのように感じた。 その歌詞、ひとつひとつの情景が目に浮かぶ。気付いたら、 私は一人、静かに泣いていた。実は、あのライブは私にとってはあの曲、聴けたと いうことが、一番嬉しかった。 平松さんからラブソングとったら 意味ないとの声も聞くが、私にとっては、 平松さんはメッセージアーティストのほうが大きいと思っている。 それは多分、私が既婚で恋愛は 遠い過去になっているからだが。

14 待ってる

この曲は2018/02/27現在においては、平松愛理が公開している 最新の曲である。とはいえ、初めてラジオでON AIRされてから もう1年近く経っている曲でもある。 ご本人にプレッシャーかける意味でも書くが、2018年はたくさん 曲をお届けしたいというから、未発表曲がたくさん聴けることであろう。 で、作詞をリスナーとともに、タイトルもリスナーとともに作ったとされる この曲であるが。私が思うにかなりの平松ソングと思った。 はっきり言えば、リアルタイムで聴いていた、平松愛理のファンが あ、こういう曲好きなんだよね。と思えるような、詞とメロディだった。 何回かお話したと思うが、平松愛理の音楽はふり幅が大きい。 ものすごい、ロック調の曲もあれば、繊細なメロディと詞も存在する。 この曲は、平松ファンが好むバラードに近いと私は思った。 そうそう、こういう歌だよね。平松愛理の書く曲は。と言えるようなもの。 ラジオで、平松さんが、皆で曲作りをやるよ。と言っていた当時、 私は決めていたことがあった。この企画には敢えて参加しないと。 嫌いだからじゃない。自分であるルールを決めてる。 平松さんはBONはそうでないと思っているみたいだが。 私自身としての立ち位置は’ファン’ではなく、あくまで’ファンにサービスしたい人’ である。自分が好きで好きでたまらなくてファンしているというよりかは、 ファンにBONさん作の作業用MIDI聴いてるよ。助かっていると言われるほうが嬉しい。 もっといえば、この資料あって便利だ。とファンに思われたいからファンサイトしている。 あくまで、気持ちの上でもサービス側の気持ちで、運営している。 だから、この企画聴いた時、サービスする側が、参加なんてしてはいけないと思ったのだ。 私はもう自分の詞はたくさんあるし、自作曲も30ある。ライブ時、席は別にアリーナ席 でなくてもいい。あくまでサービス側にいると気持ちの上で思っている。 ’ファン内スタッフ’自分ではそう位置づけている。 空耳で、平松さんはラジオでひとごとな人いる~なんて言っていた気がするが、私はこの姿勢は崩さない。 結果的には、いい曲である。自分は客観的にこの曲を聴くことができるし、 とてもいい平松ソングだ。敢えて参加しないというエピソード。 とてもBONらしいなと思う。

13 SHORT DREAM

このサイトを続ける中 おかげさまで平松さんの昔の曲に触れることが できた。その中で一番心にひびた曲がこの曲だ 私は、個人的なこというと、結婚10年めである。 娘をどう育てるかで日々いっぱいいっぱいである。 妻もそれを望んでいる。しぐさに気づくとか、 愛情表現で喧嘩とかない。元々、自分はバカか つくほどお人好し。そんなんするなら、娘の為に 経済力をといわれる。バカだから浮気もしたこと ない。つまり、自分の状態が恋愛的なものでない。 平松さんの曲においても、みてほしいとか、 駆け引きとか今はメロディーは入っても詞が、 はいってこない。過去の大好きな曲としてか とらえてない。はっきりいうと2010年から、 旅のような魂の支えの曲が自分には入ってくる。 やっと本題。short dreamは宇宙間があって、 ちょっと抽象的。これを聞いたのは2017の3月 あたり。この時期は、あまり詳しくは書かないが 仕事上である上司で頭かかえていた。 社会人生活の中、半ば20年で、最強の人に逢った。 多分、あの人に耐えうるのは相当だろう。 8割は3日で殴ってやめるか、消えるか。そうとうな人 2日目で、人間以下と言われた。耐えに耐えに耐えた。 生活水準が低い中、今自分が投げてしまっては、 待っているのは家庭崩壊。どんな罵声を浴びようが、 耐えるしかなかった。 そんな状態で入ってきたSHORT DREAM. 平松さんはSECOND BIRTHDAYでいっている。あなたに 今私の曲が入りましたねってあるのですが、 BON的な解釈でいけば、作り手の意図で伝わっていなくて もいい。感じたものがその人の正解。 「もう欲しくない 肩書きのオブジェ」は (もう欲しくない 派遣という肩書き)と解釈し、 「気分は~からそこではささいなストーリー」では 平松さんがこう、話しているように感じた。 「そんなことより、夜空みてごらんよ。大パノラマ。 傷ついてもその傷つきはささいなストーリーだよ 一瞬の夢みたいなもの」と語りかけてくる。 いく億個の光ぬけて 近づくあなたの意思。 人生は短いのだから、自分のやりたいように生きるべき。 まさに自分の悩みを代弁してくれているよう。 だが、収入は止めることはできない。道はないか? そして、まさに今日、一つの決断をしたんだけどね 詞も入ってきたが、メロディも入ってきた。 精神的にきつい職場を大自然の中帰る、その脳内はいつも このメロディ。脳内ってエンドレス。 5月でその職場とはおさらばしたが、5カ月で覚えているのは この歌詞とメロディ。すべてこれに救われた。

12 恋

この曲は2015.12.23に歌われた、未発表曲である。 今回、midiとボカロ で記録させていただきました。理由があります。 平松さんは結構、披露までいくが、お蔵入りの曲が結構あります。 意外と好きだったのになーという曲も結構あります。 そのなかで、この曲は、染みてこなかった。つまりこの曲は お蔵入りになる可能性があると感じたんです。 いや、アルバムに入ったらそれはそれですごいことだが、 直感的にお蔵入りするかもと思ったので絶対に形に残してやる と思いました。 私は詳しいことは知らない。ただ、新しいアルバムって なかなか作りにくい時代。いや、cd自体はもう安く作れる。 だが、レーベルがメインレーベルだと、それなりに結果を ださないといけない。私は思う。 未発表の曲たちをfc販売限定で作れないか? もしくは、私は平松さんの新曲も聴きたい。 結果を残さなくてもいいレーベルで発表できないか。 でも難しいところ。ネスレのバックアップあって インディーズレーベルで新しいアルバム出すということが 可能かわからない そういう意味で念が湧いた曲。恋。 シンガーソングライターは新しい曲をかくべきという平松さん。 私は、それの待望論派。 もちろん、新曲はもういいというファンもいるかもしれない。 今回、私は、新曲という念をもったこの恋をファンサイトで 表現させていただいた。

11.La la smile

この曲は平松さんにとっては思い入れが高い曲といえるだろう。 誰が見ても明らかである。もう経緯から。もともとコーヒーが 好き。そして神戸で震災支援活動が認められ、地元神戸で多分 一番有名な企業じゃないかな。ネスレネスカフェのバックアップ ビデオからライブまでものすごいバックアップしてくれた、 本人はスイス本社までいってこの曲をネスレ曲として登録。 ファンとしても平松さんに強力なバックアップついて嬉しい限り だろう。願わくば、平松さんがマイクを置く日までバックアップ していただきたい限りである。 さて、当たり前のことは別にして、ここはマイ・エピソードと いうくくりで書かせていただいている。 私としてのこの曲のエピソードといえば、久々にカラオケで 平松ソングシャウトできたことである。 なんだそれと思うかもしれないが、 実は平松は2000年以降、クリアなアップテンポの曲を 出していなかった。しいていうなら、2000年のウサバラDE東京 それ以降の平松さんのイメージは聴かせる曲が多かった。 YOU ARE MINE、あなたのいた夏、花と太陽、旅、いいんじゃない 象徴的となる2000年以降の顔といえる曲はバラードが中心で ある。もっといえば、リアルヒットゾーンのもう笑うしかない、 マイ・セレナーデ、Single is Best?!、女の命は短くて、あたり はかなり歌って踊れる曲調が多かったのに対し、ウサバラから、 花と太陽ゾーンでは、クリアPOP曲が少なかったのも事実である。 ファンとしては待望の歌って踊れる曲がLa la smileである。 今はヒットというくくりで見るのは難しいかもしれないが200万回の 再生という偉業を成し遂げた曲である。 そう、実に14年ぶり、ヒットゾーンで換算すると20年ぶり のクリアPOP曲である。これが嬉しい。

もともと、平松愛理の作る音楽は幅広い。 私は岡村孝子ファンサイトもやってる。もともとのファンという よりかは、岡村ファンに頼まれて作った経緯がある。そして、 元々、平松さんと岡村さんはいい関係だ。 私は岡村さんの楽譜渡されてMIDI作った曲は多い。 そしてはじめて聴く曲も多かった。でmidi作って見て思うのである。 うん、岡村孝子さんのサウンドっぽい。どれを作っても、 直球、岡村孝子曲味がする。

それに対して、平松さんは、え?というサウンドをもっている。 同じ、旅でも、旅真っ只中、旅の途中、旅と3曲ある。 この3曲のふり幅をみてくださいよ。同じアーティストが作った曲 ?となる。私は平松さんのこのふり幅の広さが好き。 だから、花と太陽も、La,La Smileも好きなのである。 ファンによっては、どこそこのゾーンが好きというのがあるだろう。 私は全部好きになれる。

話を戻すが、この曲はもちろんオーダーメイド曲となるのかも しれないが、踊れる曲である。踊れる、シャウトできる曲を 作ってくれて、晴れて新しい平松ソングでカラオケシャウトできる のである。そういう意味で入ってきた曲である。

10.信じれば

これもリアルタイムで聴いていない曲。というかよく この頃平松を聴いていたのに、そういう曲があること自体 知らなかった。多分CDを聴いてそれだけの人だったからである。 現在、平松さんはさんまさんをどう思っているか知らない。 どちらかというと、苦手になっているかもしれない。 私の印象イメージではあるが、平松はつっこみながらぼける。 そういうリズムがあるように思える。 だけれど、さんまさんはかなり突っ込む方でしょ。 のせてくれるというより、突っ込む。 わからない。今までのやりとりをみた一人の感想だ。 しかしながら、ファンとしては、芸能人としては、大御所3人 ともいわれている、タモリさん、たけしさん、さんまさん。 どの人も私が10歳の頃から、見たことのある人。 そして、40代になった今でもなんかしら、耳にする人。 一過性じゃない。ほんとに長くTVに映っている芸能人。 その3人の中の1人に楽曲提供できてるってことが自分の中で 興味度が高かった。そして、さんまさんとしては珍しく、 私が情報不足なだけか、リアルタイムでさんまさんサイドを私が 見た折、この制作ビデオを認知していなかった。つまり話題性が大きく なかったかもしれない。少なくても、レリゴーにならなかった。 でもさんまさんが作詞し、平松さんが作曲し、しのぶさんが歌うと いう今でいったらすごいプロジェクト。 今、これをやったら、多分ヤフーTOPに載る。 そのくらい、さんまさんは、90年代にくらべて、芸能界としての 確固たる地位を築いた。その興味からぜひ聴きたいになった。 現在2人の友好関係は知らない。芸能はよくしらない。 でも興味度は高い曲となった。

9.旅の途中

この曲はカップリングではあるがなじみの高い曲でも あるんじゃないだろうか。特にラジオを聴いていたファンに とっては。そう99年4月以降のTO BE YOUR STYLEの オープニングソングである。だからこの曲を聴くと、 TO BE YOUR STYLEを思い出すファンも多いのではないか。 でも私にとってのこの曲のイメージは緊張の曲である。 多分、緊張と思うファンは私だけかもしれない。 なぜかというと、この曲聴くと、字おこししなきゃ。 になるからである。パブロフの犬みたいに。もう背中がピン となる。私は番組をリアルタイムで聴けない状況にあった。 つまり土曜出勤が多かった時期である。 なので、帰って来て、コンポを見つめて録音されたものを 再生する。そうすると時報が鳴って、このイントロが流れると 今日はちゃんと録音できているかなー途中でさーとなってないかな 旅の途中より、自分にとって緊張の途中である。 とくに、かあー今週の1曲と冒頭はそうとう緊張した。 平松の情報が一番聴けるタイミングだからである。 冒頭は、平松の近況情報、かあー今週の1曲は平松の活動情報。 他の部分はきけなくてもいい。この部分だけはいつも緊張して 聴いていた。多分、こんな人は他にいないだろう。

8.クイーンズボローの橋の上で

2002年から大きな憧れのサイト管理人のぴぃさん。 雲の上のMIDI職人。このレベルまで行くと、仕事に呼ばれる レベルの人。実際、仕事の依頼があったそうだ。 断ったそうだが。自分が10年以上の憧れの先輩に、 MIDIを創ってもらった曲。 これはたまたま、鈴木さんの記念アルバムに再収録された アルバムが近年発売なったおかげで、この曲の原曲を 手に入れることができた。できたと同時に興奮した。 これ、もしかしたら、やってもらえるだろうか。 やってもらえたらいいなと思って、ダメ元で頼んでみた。 そしたら、速攻作ってくれた。プロレベルの音が聴ける。 MIDIのプロ級の人のオーダーメイド、この曲はやはり 原曲よりぴぃさんの音で聴いてしまうってか、CD自体を プレゼントさせてもらった。オフコース関連なら、多分、私が 保有しているよりぴぃさんが保有しているほうがいいと思って。 感謝な1曲である。この方からしたら、私のMIDIは聞くに堪えない だろうなあ。まあ実際それに近いこと言われているし。 まあ、自分はそれでもいいんだと思う。売り物ではないから。 あくまで興味を持ってもらうための嘘ものだから。

7.あの日の忘れ物

私は平松MIDIをやる。やってきた。そして、やるだけやって あまり聴いていないのも事実。まあ、気恥ずかしさがある のだろう。でも1曲だけ気に入っているものがある。 ボカロではないMIDIだ。あの日の忘れ物(Xmas MIDI)VER。 まあ、質はまあ他とは大差ない。ただ、当時の友達のリクエスト オーダーMIDIであった。はじめて喜んでもらえた。 喜んでもらえたので、なんかその曲は聴くようになった。 鈴の音、16回うち1回ならない作りになったんだけど、 あえてそうしたというより、たまたまそうなった。 そしたら、なんか自分ではそれが気に入ってしまった。 自分で作ってよく聴いている唯一の曲である。 実は、自分としてはCRESCENT MOONSHINEで強烈な平松ファン になった訳だけど、よく聞くと、この曲もじわじわくる。 実はこの曲をMIDIとして2013年にリリースしてから 自分の中での好き度が上がった曲でもある。

6.渚のエンブレム

この曲はリアルタイムで聴いていた。そしてこの曲を聴くたび、 オックスフォードの研修を思い出す。なにしろ、不安を隠すために WALKMANにこの曲と、ユーミンのHello my friend、The BOOMの ブランカこの3曲は滞在中、落ち着かせるために何度聴いたことか あの時の記憶はとまったままだ。渚のエンブレムは海の曲だが、 まさか海をはるか越えて、地球の反対側の国で聴きまくっていた 平松ファンはどのくらいいるだろうか。 部屋YのCDはホームステイ先にプレゼントしたが、どうだろ? 持ってないだろうなもう。イギリス人は自分の国の曲が好きだから 。少なくても当時は、あの家族は云っていた。 今の時代ならば、スカイプとかFBとかで、またすぐ繋がれるんだろう が、1994年当時、インタネットなかったし、あの時の思い出は 綺麗なままがいいんだろうな。 ちなみに、私はB GOOD バージョンより、シングルとしてのBの バージョンが好き。というのもシングルのバージョンをイギリス に連れていったから。そして、B GOOD バージョンは96年発売 だからね。聴けるはずがない。

5.あくびがしたい

2008年6月1日、結婚記念日。ファン同士の結婚。 今は妻はどちらかというと、育児に追われファンはもう端っこ だが。もうだいぶ経つ。実際、今のところ、大きな喧嘩なく いつも相談のように接しあっている。私としてはありがたい妻だ 私が、ジャングルジムではしゃいでいるようないつまでたっても 考えが幼い自分に溜息されている感じかな。手をつなごうまでは いっていない。だが、なんとなく安心感はある。 2で触れたが、支えてもらったので、今度は自分が支える番だ。 結婚式のBGMで何流す?ということになり、当然の流れで平松の曲 を披露宴で流し続けた。まあ、司会に頼んで、このCD流してくれ ってね。で思ったのが、平松さん、披露宴にふさわしい曲 少ないよなんていって苦笑してた思い出あったが、今だったら La la smile、も、花と太陽もいいなと思ってしまう。 そのCDは今、どこかにあるはずなのだが、何しろ整理整頓苦手でね まあ、友人たちが開いてくれた二次会で、またBGMが平松の曲で 当然のように、かぶったね。といっていたな。

4.花と太陽

皆さんはファンレターって書いたことありますか。 私は2008年に大量に書きました。大量といったのは レターどころじゃないからです。本です。B5版の120ページ 特にマンスリーライブやってた頃、1カ月単位で渡せるから もう書きまくっていましたね。よく書きましたね。通算5冊。 私は今はすべてをファンサイトに託しています。 だから本は書きませんが、はっきりいって平松さんも困惑した だろうな。こんなに読めないよって。代わりに、元マネ、 古川マネージャには読んでもらったような気がする。 まあ、彼女が受け止め役だったんだろうな。 でもあの頃の私に自分で突っ込む。欠けた月を期待してたなって。 多分、あれだけ書いたのも欠けた月を新曲で披露してほしくて。 でもそれはシンガーソングライターではなくなるじゃない? だから何も言えなかった。あの時のパワーは期待でしかなかった。 だからマンスリーに出席して新曲聴く度に、少し残念がってた 気がする。結局はファンって、つまるところ期待するもんなんだな と思う。それが勝った時点でもうファンではない。 だから、自分は自分と言い聞かせ、自分の欲望を捨てる。 何のためにファンサイトやってる?と自分で自分を叱り、 そんな時期に新曲が出てきた名曲、花と太陽。 なんか、聴いてると、いいじゃない。応援してくれるだけで 嬉しいよみたいなオーラを感じる曲で、この曲に包み込まれて 愛の大きさを感じて。許してもらったような気がする。 大きな愛にやられた。自分の欲なんて、まあ包み込んであげるよ と。その欲も隠さないでいいよ。みたいな眩しい曲だった。

3.マイ・セレナーデ

自分は作曲をやっていた時期がある。ちょうど音楽会社にいたころ だ。今は作る余力がない。というか、そこに念がいかない。 しかし、この2009年という時期は不思議で確か2週間で25曲 作った。あとにも先にも曲にはしてない。 しかし、今客観的に聴いて思うのが、本当に平松さんに影響を 受けているなということ。受けていることを意識してなくても 似ているのだ。そういうものなのかな。 まず、のっけからビールという曲がある。アップテンポでのりのり のイメージで作った。しかしながらよく聴いてみると、装飾リズム がツー・スリーになっている。たたん・たーんたんたん。 これマイ・セレナーデやん。思い出の11番街では、メロディライン が一部そのまま、反逆のAFTERNOONTEAだし。一番推しの欠けた月 だって装飾メロディがCrescentMoonShineに似ている。 はっきりいってなにもかにも似ているのだ。 はたして、これオリジナルなのか?まあ、似てる曲なんて プロの世界でもたくさんあるから、これはオリジナルなんだろうが。 しかし、長年ファンをやっていると、やはり似ているものになって しまうんだろうか。ただ、1曲だけ演歌をやったのでそれは、 違うな。といいつつも、歌詞は青春のアルバムを加工したような ものだし、やはり私はアーティストには向いてないな。

2.旅

皆様、なぜBONはこんなに旅にこだわるんだろうと思っていること でしょう。まあ、一言でいうと、私を救った曲だからです。 どういうこと?となるので今回お話します。見たくない人は 飛ばしてもらって構わない。 私は2009年9月、音楽会社がダメになり、退職する。 退職するだけだったらよかったのだが、ある重い病気にかかって いた。でも入院したわけじゃないが。それ以上は言わない。 ただ、働けない状態だったことは事実だ。 この時期心配された。というのも23時間ほど、HPを閉鎖したのだ いや、一度辞めたのだ。でも妻とその日、散歩してたらぽろぽろ 泣いてしまって。それでいいよ、続けてもと言われて、再開できた 経緯がある。まあ閉鎖もよかったこともある。昔わからないで やっていたから、ファイルがごちゃごちゃになっていたので、 ファンサイト別でくくりをつけることができた。 更新記録を見てみると、2010年からずらりと更新している。 実はこれはそんなにすごくない。自分がすごいなと思ったのが、 病気中の最初6カ月で、平松ボカロを20曲から143曲へ、 そしてそれだけではあきたらず、他のファンサイトを10作り、 300曲以上のMIDIとボカロをやったことである。 今、やれっといっても到底できない。まあ給料50万毎月でるよ といわれたら、やれるけれども。ただの趣味としては不可能だ。 今すごいといったけど、すごいんじゃない。異常だったが正しい。 一日中散歩以外はサイトやっていた。 作業自体はできていたんだ。でも仕事できる状態ではなかった。 もうそろそろわかっていただけるだろうか。まあBONのページを 隅々読めば、想像はつくと思うのでこれ以上は言わない。 現在載っている更新記録は落ち着いてきた頃からの履歴書だ。 そんな中、2009年12月23日のSLOW ROOM 浜離宮朝日ホール でのライブでの新曲、旅。 病気のまま参加する。 そしてこの曲が来たとき、この曲が自分に生まれた。 2014年頃、よくイベントでsecond birthdayのことお話していますが この曲、今、あなたの中に入りましたね。歌うってそういうこと。 それに当てはまるように、この曲が入ってきた。 友達に新曲どうだった?と訊かれ、表現できないほどだった。 だんだん自分が現実世界戻るにつれ、この曲が入りこんでくる。 1人じゃない。そう1人じゃないと云い続け、妻の’娘の為に 働こうか’って言われて、なんとか這い上がる。でも病気が完治 していないから長く続かない。2011年は焦りの年だった。 なんとか働ける自分になるんだともがいていた。そして2012年7月 本格復帰。3年間、見えない旅をしてきた。窓を拭かないで。 その魂の言葉に支えられて、家族、親に支えられて、戻ってきた。 家族とこの曲に命を救ってもらったんだ。 だから旅にこだわっている。金使ってでも応援したんだろう。 念が入って360万ビューに育った。個人にしてはよくここまで 育ったと思う。この曲へ恩返しという意味でもあったろう。 このファンサイトは自分の心臓なのだ。

1.HEATWAVE

今はもう聴くことはないが、むかしMDコンポを持っていた。 かなり前にMDをもらっていたようだ。ようだ、というのは、 びっくりしたからである。 調子悪くて寝てた2009年頃だったかの朝、いきなりこのMDコンポ から音が鳴り始めて飛び起きたことがある。 それが、流れていたのが、平松がうたうHEAT WAVEだった いや、平松がうたっているのはわかったが、それがHEAT WAVE であることを知らなかった。いきなり流れはじめたのは、多分、 目ざまし再生の設定がなぜかかかっていたからだろう。 自分でやった記憶がないからびっくりして飛び起きたのだ。 そして、このMDが平松さんのアマチュア音源のものであること は認識できた。ある方からいただいた宝物だ。ただ、あまり再生 せずにいた。だから、急に平松さんが英語で歌い始めたとしか わからなかった。完全に平松さんのWIPEOUTのオリジナルだと 思って聴いていた。そしてそのあと日本語で歌う平松さんを なんとなく聴く。WIPEOUTの贈り物だと思って聴いていた。 さて、私は平 松愛理のファンになる前から、PHIL COLLINSのファンだった なんとなくのファンだった。2010年、ショッキングなことがおこる。 PHIL COLLINSがGOING BACKというアルバムをリリースする。 リリース前にYOUTUBEである曲を聴いて驚愕する。 PHILが平松がうたっていた曲を歌っている。なんでだ?PHILがカバーしたのか? まさか、Philはアマチュア時代の平松を聴いてそれをカバーしたのか? 今はもう引退したりしているPHILだが、80年代90年代の洋楽を知る人で PHIL COLLINSを知らない人はいないほど、世界規模での有名な人である。 それが、アマチュア時代の平松をカバーするはずがない! ・・・まてよ、そんなことあったら世界的に平松が注目を浴 びるはず。 HEAT WAVEをYOUTUBEで検索してみた。 なんだ、オリジナルがいるではないか。 それどころかいろんな人がカバーしているではないか。 やっと謎が解けた。平松さんは昔の洋楽をカバーで歌ったに過ぎない。 ・・でもこのドキドキどうしてくれよう。 私が平松さんを見たライブイベントでHEAT WAVEをカバーしたことはない。 平松さんは自分はカーペンターズが好きだという認識しかなかったので。

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