アクセスのあくせく!
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アクセスのあくせく!
アクセスのあくせく!
BONさん皆様、Look ahead!アクセスです。
最近、皆様どうですか?
私は一時期、情報担当として、急きょあらわれました。
そして最近はご部沙汰です。looking for access!
BONさんから連絡が入り急きょ、ページを持つはめになりましたです。
宜しくで、アクセス!
1、私が平松さんを聴いたころ。
私は1993年当時、コンビニの夜勤をやっていました。
そのときに、AXSの曲を聴いてAXSのファンになった次第です。
コンビニでは有線でいい曲ががんがん流れてますね。
今はどうだが知りませんが、AXSもそうやってファンになりました。
部屋とYシャツと私。確かに聴いたことありましたが、わたしには
びびっときませんでしたね(すみません。)
私が平松さんに興味を持ち始めたのは
ちょうど、車の教習所に行きはじめた93年3月でしたね。
予想以上にシンセリズムがあわさったんですかね。
この曲聴くと教習所時代を思い出しますね。
意味は全然わかりませんでした。曲のリズムが頭から離れなかった。
この中毒性のあるメロディってあるのかなと思いますね。
私はその頃GBという雑誌が好きでAXSが出たときかっていたのですが、
平松さんも載った時期あったような気がするな。
徳永英明さんははっきり覚えてる。あんひとも正直な人だな。
この時期にベストは反対だったとか。そういう記憶がある。
話がそれたか、そのあと、93年、94年とAXSはどかどかシングルを
出し始める。そして、なんとなくではあるが平松さんの7DAYS GIRL
を買ってたまに聴いていたものだ。
2、青春時代に聴いた曲が一生のファンになる
私はとにかく順位が好きで自分で自分の好きな曲ベスト20を週ごとに
記録していた、へんなくせがある。
当然、AXSが自分のチャートをにぎわしていた。とはいえ、レンタルCDの時代
ヒットしているような曲を10枚ほど借りてきて、2週に1ぺんくらい。
毎回、WALKMANに有線のようにしてエントリーさせ聴いていたものだ。
そして、今、自分にとっての順位とこのくらい売れてていいはずだみたいな。
自分だけの売り上げ数値を書き込んでいた。若いころのおかしな趣味である。
95年に入り、AXSが急に沈黙宣言してしまい、LIVE盤とかしかでなくなった。
さて、AXSを中心に私のチャートがにぎわっていたのだが、
あ、アルバム曲もシングル曲としてリリースさせチャートにしていたのだが、
新しい曲を創ってないとなると、私の中の’新曲’が出なくなる。
そこで、かわりに台頭してきたのが、平松愛理だったわけである。
確かにジャンルはAXSとは違う。だけど、やはりヒット曲を毎回借りてると
お金がかかってしょうがない。そのうち、平松のCDをBOOK OFFで買い
アルバム曲をシングル曲としてチャートをにぎわし始めた。
92年から96年はそうやってたくさんヒット曲と、DEENとかB'zとか
WANDSとかZARDとかB-ぐわむよく聞いてたな。小室サウンドもはまった。
そういうCDとともに平松愛理があったわけだ。
アクセスも95年で自分の中でほとんどの曲をリリースしてしまった
もともと、この時期は3枚しかオリジナルCD出してない。
たくさん曲もっているって得だな。
平松さんはもう96年ぐらいまでに7~8枚出していたから、常に
一度も敢えて聴いてない、アルバム収録曲をシングル曲として3週に1ぺん
はリリースしていた。気づいたら、私の4年間のチャートのなかで、
平松が1位になった曲が37曲になってしまい、AXSを抜いてしまったのだ。
96年この時22歳。青春時代の最後の頃である。
自分のチャートは学生が終わるとともにやめてしまった。
私は今40を超えたわけだが、やはり自分の青春はAXSと平松愛理となったわけだ
3、新社会人になって。
逆に今度は新曲を聴かなくなっていた。というか、社会人初の接待というものを
経験する。確かに、青春の頃の曲も歌わしてもらったが、おじさんにはうけない。
うけないので、うけるために、自分のカラオケの声にあったしかも意外と知られている
曲を歌う必要があった。それが、堀内孝雄だった。
今はもうお亡くなりになられてしまった藤田さんだが、はぐれ刑事純情派は
再放送がかなりの確率で放送されていた時代。その主題歌を歌えばうけるだろうと
いうことで、AXS、平松愛理とはまったく違うジャンルの曲を歌うようになる。
使い分け。友達と歌うときはAXSや平松愛理。オジサマがはいると堀内孝雄。
堀内さんもかなり歴史あって、主題歌も1年ごとに変わっていたから、15曲も
歌えれば、十分であった。嫌いでもなかったのだろう。
そして、そのうち音楽を聴くことを忘れてしまう。
4、AXSが復活して
2002年アクセスが復活した年であった。30に近くなっていた私だったが
久しぶりにAXSを買った。当時のことを思い出して買ったが、もうチャートを
創る元気はなかった。というもの。37曲の1位を出していた平松が病気で
あることが発表されたショックも大きい。私の青春はこの時代で止まったままとなる
2004年に平松さんが復活して、CD買う。AXSの新譜も買ったが、
その曲たちを飽きるまで聴いているだけの青年になった。
5、YOUTUBEの時代
YOUTUBEが生まれてもうかなりたつ。というか、今、音楽を聴くのに使わざるを
えないツールとなった。昔と違い、大概の曲は聴ける場合も多い。
そして、40を超えた今、また昔のAXSを聴きだした。
はっきりいって2005年ぐらいまでの楽曲しかしらない。でもファンだったと
いいたい。おお、そういえば、私の4年間チャートをにぎわした、平松愛理は
どうなっているか。検索してみる。
ここで1つ気づくことがあった。
1人の人がほとんどのマニアックな曲をVOCALOID化していることに気付いた。
確かに、本物とは違うが青春をよみがえらせるのに十分なことだった。
この人誰となった。そして、こういう人もいるんだなーと感心した次第である。
そして、2014年、元旦になったら平松愛理ファンサイトにAXSしてみようと
思った次第であるでaccess!
6、余談
ホームページファンサイト、正直いって懐かしかった。
残っている人はいるもんだ。これ大事だと思いますよ。
商業ベースでやっているところは、契約切れたらある意味
おしまいだ。だけど、こういうところはファンである限り不滅
15年前は今みたいに情報ツールがあるわけじゃなかった。
今、選択しきれないほどあるでしょう。だからここで、みんなで
ファンで集まって情報を共有しまくっていた。
今、必要ないでしょう。情報なんて、どこでも拾えるし、
そこに偉いとか1番とかまったく関係ない。
今は、履歴書として十分なんじゃなかろうか。
特に、若い人は、会場はこうで、こういう感じだったって情報も
いるかもしれないが、ファンサイトでなくてもOKじゃない?
ツールだけでよくない?
私はBONさんにお願いしたい。辞めないでほしい。
特に平松愛理ファンサイトは恵まれている、
ファンがつくった専門サイトが4つは存在している。
しかも本人がなにしようが、構わずオリジナルコンテンツを創り続けている
そんなサイト他にあるんかい?
少なくても、AXSのファンサイトは存在はしてるけど、もう機能しているかは
わからない(管理人さんすみません)
そんなわけで、少し話してみたくなったので、情報もあったし、
あの時敢えてBBSに書かせていただきました。ありがとうでアクセス!